邪馬台国の場所

 弥生時代末期に存在した大国、邪馬台国を研究しています。

 畿内説・九州説・出雲説など、いろいろな説がありますが、いずれも決定打がありません。 なにが問題なのか・・・?

 当ホームページでは、超大国出現の基本である農業の視点から調査を進め、交易品の鉱工業や、商業活動にも着目して、邪馬台国の場所を特定しました。

 動画による分かりやすい解説を作りましたので、是非、ご視聴下さい。

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動画 61本(2018/11/12時点)

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卑弥呼の墓
魏志倭人伝に記述された卑弥呼の墓は、福井市丸山だった。直径百余メートルの円墳で、周辺には邪馬台国の遺跡群が密集している。

 

 畿内説・九州説・出雲説・・・色々な説がありますが、いずれの説も、これまでは農業の視点が欠落していました。現代のように、日本全国どこでも水田稲作が出来て当たり前と、論者達は、思い込んでいるようです。弥生時代末期の日本列島は、湿地帯・淡水湖・密林地帯がほとんどで、水田稲作が出来る場所は限られていた事を、まずは認識しなければなりません。

 そして、その時代に超大国が出現するには、それに見合うだけの農業生産の必要がある事を、大前提にすべきでしょう。

 

 畿内説 → 淡水湖や湿地帯だらけで農耕地が少ない。

 九州説 → 筑紫平野は密林地帯で、三日月湖跡しか農耕できない。

 出雲説 → そもそも平地が少ない。

 

という風に農業生産の視点から見ると、弥生時代末期に超大国になる要素はありません。

 

 そこで私は、魏志倭人伝から場所を特定するのではなく、弥生時代末期に大国となるための条件を考察しました。 

 大国出現には必然性があります。食料(農業生産)と、働く場所(農耕地)がなければ超大国は生まれません。そんな当たり前なことを調査して行くと、ある場所が弥生時代末期の有力な超大国だった事が分かりました。

 その大国は、偶然にも魏志倭人伝の場所と一致していました。

 

必然: 農業生産量が大きくなると、大国が出現する。

偶然: その大国は、魏志倭人伝の記述と一致している。

 

 場所は、近畿でも九州でも出雲でもない、意外な所でした。。

弥生時代末期に超大国だったのは、高志(こし)です。高志という呼び方は、奈良時代以前の北陸地方の事です。奈良時代に、高志を三区分するにあたり、

 高志 → 越 へと変更されました。変更後は、越前・越中・越後となり、平安時代に越前から能登・加賀が分離されました。

 超大国だった場所は、越前(福井県・石川県)、越中(富山県)、越後(新潟県)の内、越前を中心とする一帯です。

 

 邪馬台国の都は、現在の福井県福井市を中心とした平野です。勢力範囲は、北陸地方から山陰地方、九州北部にまで及んでいました。

 

 弥生時代末期、この平野一帯が、日本で最も農業生産が優れていました。

 弥生時代中期までは淡水湖だったこの一帯が、弥生時代末期には、水稲栽培に最適な土地となったからです。驚くほど平坦で、極端に水はけの悪い沖積層から成っており、こまごまとを作る必要のない大規模水田稲作が可能な土地でした。

 必然的に、爆発的に人口が増え、邪馬台国の基盤が出来上がりました。


邪馬台国の勢力範囲
越前を本拠とし、日本海側全域を支配下に置いていた。朝鮮や中国との交易も盛んだった。[邪馬台国]

 ただし、冬場の悪天候という日本海側ゆえの欠点がありました。

そのため、常に近畿地方への南下を目論んでいました。その当時の近畿地方は、『狗奴国』です。『邪馬台国』と『狗奴国』が常に対立していたのは、魏志倭人伝にも書かれている通りです。

 

卑弥呼が世を去ってから250年後の五世紀末、ついに邪馬台国は狗奴国を征服しました。これが、第二十六代天皇の継体天皇です。ヤマト朝廷という名前は、ヤマタイ勢力が支配した朝廷という事です。

 

この時期には、邪馬台国と狗奴国には、圧倒的な技術格差がありました。もちろん、邪馬台国が遥かに先進的で、技術後進国の狗奴国は、圧倒されたことでしょう。禅譲という形をとって、新たな朝廷(ヤマタイ朝廷)が誕生したのです。

 

技術格差は、ハードウェアとソフトウェアの両面です。

武器や農耕具としての鉄器技術、情報伝達手段としての製紙技術です。

近畿地方は、古墳時代中期まで鉄器の出土がほとんど無いのに対して、越前地方は、弥生時代末期に数千点もの鉄器が出土しています。

また同じ時期に、日本で最初に製紙が始まったのも越前です。(越前和紙

 

 しかし、狗奴国(近畿地方)もまた、広大な農地を有する超大国だったので、邪馬台国が狗奴国を征服するには、長い時間を要しました。

 

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動画:【なぜ越前だったのか?】