弥生時代末期に存在した大国、邪馬台国を研究しています。 

大国出現には必然性があります。食料と働く場所がなければ大国は生まれません。そんな当たり前なことを調査して行くと、ある場所が弥生時代末期の大国だった事が分かりました。

 その大国は、偶然にも中国古文書記述の場所と一致していました。

 

必然: 農業生産量が大きくなると、大国が出現する。

偶然: その大国は、魏志倭人伝の記述と一致している。

 

 一致した場所は、『高志』(こし)です。高志とは現在の『越』、北陸地方の事です。

地域区分では、越前(福井県)、越中(富山県)、越後(新潟県)がありますが、邪馬台国があったのは越前です。

 

 邪馬台国の都は、現在の福井県福井市を中心とした平野一帯です。勢力範囲は、北陸地方から山陰地方、九州北部にまで及んでいました。

 

 弥生時代末期、この平野一帯が、日本で最も農業生産が優れていました。

 弥生時代中期までは淡水湖だったこの一帯が、弥生時代末期には、水稲栽培に最適な土地となったからです。驚くほど平坦で、極端に水はけの悪い沖積層から成っており、こまごまとを作る必要のない大規模水田稲作が可能な土地でした。

 必然的に、爆発的に人口が増え、邪馬台国の基盤が出来上がりました。


 ただし、冬場の悪天候という日本海側ゆえの欠点がありました。

そのため、常に近畿地方への南下を目論んでいました。その当時の近畿地方は、『狗奴国』です。『邪馬台国』と『狗奴国』が常に対立していたのは、魏志倭人伝にも書かれている通りです。

 

卑弥呼が世を去ってから250年後の五世紀末、ついに邪馬台国は狗奴国を征服しました。これが、第二十六代天皇の継体天皇です。ヤマト朝廷という名前は、邪馬台勢力が支配した朝廷という事です。

 

この時期には、邪馬台国と狗奴国には、圧倒的な技術格差がありました。もちろん、邪馬台国が遥かに先進的で、技術後進国の狗奴国は、圧倒されたことでしょう。禅譲という形をとって、新たな朝廷が誕生したのです。

 

技術格差は、ハードウェアとソフトウェアの両面です。

武器や農耕具としての鉄器技術、情報伝達手段としての製紙技術です。

近畿地方は、古墳時代中期まで鉄器の出土がほとんど無いのに対して、越前地方は、弥生時代末期に数千点もの鉄器が出土しています。

また同じ時期に、日本で最初に製紙が始まったのも越前です。(越前和紙

 

 しかし、狗奴国(近畿地方)もまた、広大な農地を有する超大国だったので、邪馬台国が狗奴国を征服するには、長い時間を要しました。

 

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