宇佐説 推理作家の妄想

 邪馬台国・宇佐説を唱えた推理小説家がいます。井沢元彦氏です。また、松本清張氏も短編小説「陸行水行」の中で、宇佐を投馬国と比定する登場人物を描いています。

「宇佐」は、飛鳥時代の行政区分では豊前の国に属し、応神天皇を祭る八幡宮の総本社・宇佐神宮がある事で有名な地域です。

 また、記紀には神武東征の寄港地としても記されている場所です。

 今回は、北部九州の具体的な地域の手始めとして、東の端に位置する豊前の国、特に宇佐について二回に分けて、考察します。

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奈良時代の宇佐は重要

 この地図は、九州の北東部を拡大したものです。

古代出雲の西の端・長門の国から東へ向かうと、北部九州に入ります。現在の北九州市地域ですが、飛鳥時代の行政区分では、豊前の国と筑前の国にまたがっています。

 もちろん、弥生時代にはこのような行政区分はありませんが、便宜上、豊前の国の範囲で考察します。

 この地域の弥生時代末期で、時々話題に上るのは、「宇佐」です。

邪馬台国・宇佐説は、宇佐神宮という全国に約44,000社ある八幡宮の総本社がある事が、最も大きな要因です。

 この神社は、八世紀の奈良時代に非常に重要な存在でした。その事が、邪馬台国・宇佐説を唱える推理作家さんにとっては、強烈なインパクトだったようです。

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宇佐は平凡な沖積平野

 宇佐神宮について語る前に、まずは古代国家成立の基本から入ります。弥生時代の豊前の国の水田稲作状況です。

 豊前の国は、瀬戸内海の潮流の変化の激しい周防灘に面しています。海岸部は山地がせり出しており、平野部分は少なく、弥生時代には現代よりも更に狭かったようです。平野部の形成は、河川の堆積による扇状地や沖積平野ですので、水田稲作に適した土地は沿岸部のみに限られていました。

 この中で、一定規模の耕作地帯があったのは、中津市から宇佐市に掛けての地域です。

山国川(やまくにがわ)や寄藻川(よりもがわ)の堆積によって形成された沖積平野です。勾配が緩やかで、水はけの悪い泥質の土という水田稲作には適した土壌です。現代でも、和間海岸(わまかいがん)などの遠浅の海岸線が広がっている事から、有明海沿岸地域とよく似た平地構造です。その為、一定規模の豪族が存在していた可能性はあります。

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遅れていた瀬戸内地域

 次に、弥生遺跡です。

残念ながら、特筆すべき遺跡はありません。

もちろん弥生土器や青銅器が出土する遺跡はありますが、鉄器や装飾加工品などの先進技術の出土品が少ないのです。これは、豊前の国に限った事ではなく、瀬戸内地域での出土量は北部九州や日本海沿岸地域と比べて明らかに少ない傾向があります。

 この原因として、瀬戸内海が潮流の変化の激しい海ですので、そこを航海する技術が、弥生時代にはまだ確立されていなかったからと考えられます。入口の関門海峡は現代でも航行が難しいのはよく知らていますが、豊前の海岸も古来から周防灘と呼ばれるほどの潮流変化の激しい海です。

 また陸路の場合でも、北部九州から筑紫平野、日田盆地を経由して、豊前の国に入ろうとしても、弥生時代には密林だった地域ですので、簡単に瀬戸内海に抜ける事は出来ませんでした。

 主な遺跡としては、後漢鏡や鉄製品と装身具を副葬した王墓が発掘された徳永川ノ上(とくながかわのうえ)遺跡、大規模環壕が発掘された葛川(くずかわ)遺跡、大規模な集落と墳墓が発掘された下稗田(しもひえだ)遺跡、銅戈(どうか)や銅鉇(どうやりがんな)などの青銅器が発掘された鬼木四反田(おんのきしたんだ)遺跡などです。比較的北側の日本海に近い地域に分布しています。

 残念ながら、宇佐神宮の近くには、目ぼしい弥生遺跡はありません。

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宇佐神宮の祭神

 宇佐神宮についての概要に入ります。

 宇佐神宮は、大分県宇佐市にある神社で、豊前の国の一宮です。

 創建は六世紀頃で、筑前の国の大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)が本宮とされています。

祭神は、応神天皇や神功皇后という九州に関連した人物と、比売大神 (ひめのおおかみ)が祭られています。

 社伝などによると、欽明天皇32年・西暦571年頃に、宇佐の地に不思議な老人が降りてきて、祭司が祈ると三才の子供に変身して、「私は応神天皇だ」とお告げがあったとされています。その為、宇佐神宮をはじめとする八幡宮は応神天皇を祭神としているそうです。但し、これは応神天皇がいたとされる時代よりも、250年後のこじつけ伝承です。また、比売大神と神功皇后についても、平安時代頃に後付けされた祭神だそうです。

 日本全国どこにでもある根拠の希薄な神社伝承ですね。

 特筆すべきは、宇佐神宮の立ち位置が、八世紀の奈良時代に頂点を迎えている事です。皇室の宗廟として、伊勢神宮をも凌ぐ程の崇拝の対象となっていたようです。

 大和朝廷の重要な出来事がある度に、伊勢神宮を差し置いて、宇佐神宮にお伺いを立てていたのです。つまり、最も高い地位にある神社だったという事です。

 この事実がまさに、推理小説作家の好奇心をそそったのでしょう。天皇家の先祖が九州であるからこそ、故郷の邪馬台国・宇佐神宮に参拝したのだと推理している訳です。

 なお、邪馬台国は三世紀ですので、宇佐神宮建立がその250年後、宇佐神宮詣でがさらに250年後となります。また、奈良時代に至るまでに、何度も王朝交替が起こっています。その前提からすると、かなり無理のある推理ではないか?・・・と私は思います。

 宇佐神宮は、邪馬台国時代の1800年前から存在していた訳ではありません。同じ事が、出雲大社や伊勢神宮についても言えます。

 以前の動画で、出雲大社建立や大国主命神話は、五世紀~六世紀頃と推測しました。宇佐神宮も同じ時期とみられます。これは邪馬台国の250年も後の事です。

 全国各地に大量に存在する神社伝承は、ほとんどが後付けですので、これを根拠に邪馬台国を比定するのは説得力に欠けてしまいます。

 作家さんには、農学や海洋学、考古学などの揺るぎない根拠を示して「宇佐説」を語って欲しいものですね。

 次回は、宇佐神宮が奈良時代以降に重用されていた理由を考察します。