邪馬台国論争から見る日向の国

 日向の国・宮崎県は、邪馬台国論争に登場する事がしばしばあります。それは天孫降臨の地・高千穂が存在している事と、神武東征の出発地点となっている事、などが原因です。しかしこれまで考察したように、日向は天然の水田適地に恵まれず、弥生時代には何の個性もない小国でした。「七萬餘戸」という超大国にはなり得ません。今回は、日向の国が登場する邪馬台国論争についての諸説を考察します。

 邪馬台国論争において、日向の国が初めて登場したのは、明治時代の九州説の先駆者・白鳥庫吉の弟子の榎一雄からです。彼は、放射説という邪馬台国への行路の曲解を展開した事で有名です。これは邪馬台国が九州島の中に収まるような恣意的な解釈です。

 この中で、日向の国・宮崎県の「妻」という場所を、投馬国と比定したのです。

妻とは、宮崎県西都市の中心部にある地名で、かつてはこの地域全域が「妻」と呼ばれていました。この地は、前回の動画で紹介しました通り、西都原古墳群がある場所ですので、古墳時代には強力な勢力があったと考えられます。しかし、弥生遺跡に顕著なものはありません。

 榎一雄がこの地を投馬国と比定したのは、主に次の三点です。

・航路の一致

・投馬と妻との音韻の一致

・天皇家への忖度

行程上の一致では、伊都国(現在の福岡県糸島市)を起点として水行20日の場所が投馬国なので、だいたい日向の国・宮崎県あたりになるとしています。九州島を西回りにするか、東回りにするかは明示していません。しかも、西回りにしても東回りにしても、海流の作用を利用した沖乗り航法が利用できないので、「水行」という記述にも合致しないのですが、その辺の言及もありません。航路の一致とは言いながらも、かなり大雑把な曲解です。

 彼がこの地を投馬国に比定したのは、むしろ二番目の音韻上の一致です。

B: ちょっと、まって!

 

A: なっ、なに?

 

B: 投馬と妻との音韻の一致っていうけど、全然似ていませんよ?

 

A: そうですね。普通に読めば、全然似ていませんね。これは、榎一雄が恣意的に読み方を変えたからです。投馬の「とう」の字を、「ツ」と読ませたんです。

 

B: えええーー?そんなの有りですかぁ?

 

A: うーん。無いことはないけれど、かなり酷い曲解ですね。

中国には北京語、上海語、広東語などの20種類以上の主要言語があって、その上に、それぞれの言語に方言があるから、発音は無数にあるんです。投馬をツマと読ませられない事もないけれど、あまりにもご都合主義ですね。

 

B: ふーん?実際に「投」の字を「ツ」と読むことってあるのですか?

 

A: 邪馬台国時代に魏の都・洛陽で、どんな言語が使われて、どんな発音がなされていたかは闇の中なので、はっきりした事は言えないけど・・・? 榎一雄は、どうやら「漢音」と「呉音」という大雑把な括りや、「上古音」という古代中国語の仮説を参考にしたようなのです。呉音には「ヅ」という発音があるので、その亜流という事でしょう。

 

B: でも呉音って上海語に近いし、上古音って北京語に近いんでしょう?これじゃあ、古代の洛陽で使われていたとは思えないんだけど?

 

A: まぁ、それは置いといて。邪馬台国の場所と同じで、1800年も前の事ですから、何とでも曲解できるんですよ?

 

B: なんだかなぁー。

 

A: 投馬国をツマ国と読ませる研究者は結構多いんです。それは、トウマコクでは音韻が一致する地名が少ないので、ツマ国にした方が都合が良いからです。

 

B: へーー?宮崎県の妻以外でもあるんですか?

A: 例えば、筑紫平野の八女市にあった上妻郡や、山陰地方の出雲を「づも」と読ませるやり方などがあります。けど、音韻の一致で投馬国の場所を比定するのは、難しいですね。

 

B: じゃあ、フツーに「とうま」と読んだ場合には、当てはまる場所があるんですか?

 

A: あります。一番ピッタリくるのは、「たじま」や「たんば」でしょう。但馬・丹波・丹後エリアは、古代には「タニハ」または、「たんま」と呼ばれていた場所です。この地域には、北部九州を凌駕する弥生遺跡が発見されていますから、この場所が投馬国で間違いないでしょう。

 

B: なるほどーー。但馬・丹波・丹後エリアかぁ? 弥生遺跡の宝庫ですものねぇ?

 

A: そうよ。

 榎一雄が日向の国・妻を投馬国とした三番目の理由です。

日本国が歴史上最初に登場する魏志倭人伝ですので、天皇家を何としても関わらせたかったという思惑が見て取れます。天孫降臨から神武東征までの神話の国ですので、なんらかの形で日向の国をテーブルに載せたかったというのが本音でしょう。西都原古墳群があり、妻という地名もあったので、これ幸いとばかりに投馬国に比定したようです。彼の著書によると、投馬国を日向の国にした理由ついては、くどいほど滔々と述べています。邪馬台国よりもむしろ投馬国の方を重要視していたかのようです。なお、彼が邪馬台国に比定した場所は、福岡県久留米近郊の「御井」という場所です。こちらはあっさりしたもので、行程の不一致など何のその、単に筑紫平野に邪馬台国を持ってきたかっただけ、という内容でした。

 日向の国を邪馬台国に比定している研究者もいます。

その大きな根拠は、高千穂の存在です。この地には天岩戸神社があり、天照大御神から続く日向三代、さらには神武東征という流れがあります。そして天照大御神を女王・卑弥呼だとしています。

 残念ながら、邪馬台国日向説は完全否定せざるを得ません。それは、前回の動画でも示しました通り、日向の国は、ずっと後の古墳時代になってからようやく強大な勢力が出現したのであって、邪馬台国時代には何も無かった場所だったからです。日本神話自体が、古墳時代の出来事を元にしているとしか考えられません。

 天岩戸神社にしても、地元の伝承から建立されたものです。古くても、せいぜい平安時代からのものです。日本全国にある神社伝承は、ここに限らずどこも眉唾ものです。

 ちなみに、天照大御神が天岩戸に隠れたのは、皆既日食の発生を元ネタとしたものだ、と言う説があります。しかし九州では、邪馬台国時代に皆既日食は起こっていません。

 卑弥呼が死去した前年の247年の皆既日食では、対馬沖から中国大陸で観測されていますが、九州では起こっていません。翌年の248年、つまり卑弥呼が死去した年の皆既日食では、北陸・信州・北関東でだけ観測されています。九州では観測されていません。

 天岩戸隠れという皆既日食を、邪馬台国の根拠にするならば、九州ではなく、北陸・信州・北関東こそがその地だという事になります。

 これらのように日向の国・宮崎県は、邪馬台国論争に登場する事もありますが、可能性は低いと言わざるを得ません。日本神話の原点ではあっても、その根拠が後の時代のものしか見いだせないからです。天然の水田適地に恵まれず、弥生時代には何の個性もない小国だったのが実際のところでしょう。日向の国に光が差し込むのは、馬が伝来し、繁殖に成功した古墳時代から、と見るのが自然です。「天然の馬の繁殖適地」として強大な勢力が出現し、日本神話の主役になった場所です。