鉄器王国・宝石王国・邪馬台国

 7000年前の縄文時代から、北陸地方では最先端の玉造りが行われていた事は、これまでに何度も紹介しました。

この文化が、出雲や近畿地方だけでなく、中国大陸へも影響を与えています。

 石川県小松市の八日市地方遺跡もまた、弥生時代には強力な宝石の生産地の一つでした。特に、小松産の碧玉製管玉は、北部九州にまで出土が見られます。高志の国が日本海沿岸地域を支配していた様子が窺えます。

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八日市

 前回の動画で紹介しましたように、石川県小松市の八日市地方遺跡からは様々な遺物が大量に見つかっています。そのうち、最も大きなニュースになったのは、2018年に発見された「柄付き鉄製鉇(やりがんな)」です。

 これは、木製の柄がついた完全な形の鉄製のヤリガンナで、2000年前という日本最古のものです。用途は現在のところ、木製品の加工に使われたのではないか、と推測されています。この遺跡から出土した木製品は、非常に個性的で、細部にまで加工が施されています。石の道具を用いては、そこまで繊細な木の加工が出来ませんので、このヤリガンナを含めた多くの鉄製工具が使われていたのでしょう。

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ヤリガンナの構造

 この「柄付き鉄製鉇(やりがんな)」の構造です。

柄の上半部を二枚合わせにして鉄部分を挟み込み、糸を巻き付けて固定した上から、テープ状に加工したサクラの樹皮を刃部側から巻き付ける構造となっています。

 鉇の全長は 16.3 ㎝で、鉄の部分は長さ 5.1 ㎝、柄の中に 2.7 ㎝が挟み込まれています。刃部は三角形で、その両辺に刃がつき、幅 1.9 ㎝、厚さ2 ㎜となっています。柄の下方には隆帯が削り出され、斜格子文が彫り込まれています。

 弥生時代中期、紀元前後一世紀ころのもので、日本最古な上に、これほど完璧な鉄製品は類を見ません。

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鉄製斧の柄

  このヤリガンナが出土する前から、この遺跡では、優れた木製品が数多く出土していました。中でも、鋳造鉄斧(ちゅうぞうてっぷ)という鉄製の斧の持ち手が日本で最も多く出土していました。ただし、それまで、鉄器自体の出土が無く、鉄の斧だったという証明には至っていませんでした。

 この鉄製ヤリガンナの出土により、大量の鉄器が存在していた可能性が一気に高まりました。現在のところ、邪馬台国時代の鉄器出土数では、福井県の林藤島遺跡が日本一ですが、これを後押しする発見です。越前エリアに存在した、超強力な「鉄器王国」の姿が浮かび上がる事になったのです。

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ヤリガンナは玉造用?

 一方でヤリガンナの用途は、玉造り用の工具だった可能性もあります。

北陸地方では、7000年前の縄文時代から玉造りが行われていました。世界最古級です。その伝統が2000年前の弥生時代にも、発展しながら受け継がれてきた姿が、この地にも見られます。

 八日市地方遺跡では、美しい緑色の碧玉を加工した管玉や、新潟県糸魚川産の翡翠を加工した勾玉などの生産が盛んに行われていたことも明らかになっています。

 出土品の中には、それらの原石や未成品、剥片が大量に出土しているほか、石鋸や石針、砥石などの製作道具も多数出土しています。

 この玉造りの加工用の道具の一つとして、ヤリガンナなどの鉄製工具が用いられていた可能性も大いにあります。特に翡翠硬玉は鉄よりも固い石です。石器で加工できるようなしろものではありません。福井県の林藤島遺跡のように玉造り用の工具として用いられていたのではないでしょうか。

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宝石王国

 なお、石川県から福井県に掛けての山間部は碧玉の産地です。この地域から産出された碧玉を管玉に加工した製品が、北部九州各地の弥生遺跡から出土しています。これは成分検査で確かめられています。

 新潟県産の翡翠勾玉が北部九州から数多く発見されている事は有名ですが、碧玉もまた北陸地方なのです。

最も価値の高い威信財である翡翠の勾玉や碧玉の管玉は、高志の国で生産加工され、日本海に沿って九州にまで配布されていたという事です。

 魏志倭人伝に記されている女王國は北部九州から日本海沿いの広域に及び、女王の都・邪馬台国は北陸・越前にあったとすれば、宝石類の分布とも完全に一致します。

 邪馬台国は、鉄器王国であり、宝石王国だったのですね。

 八日市地方遺跡は、「弥生の博物館」と呼ばれる鳥取県の青谷上寺地遺跡に似ています。決して大きな集落ではなく、その地域の中心地ではなかったにも関わらず、個性的で豊富な出土品があります。その時代には、日本海沿岸各地に、同じような遺跡が点在していたのでしょう。リマン海流と対馬海流の作用で、日本海側が「表日本」だった事を痛感させられた遺跡です。なお、青谷上寺地遺跡からも「高麗津(コマツ)」の碧玉の出土が確認されています。