鯖江・第二の都市

 邪馬台国が越前にあったとする説は、1980年頃にもありました。

 

 魏志倭人伝の原版とされる『紹興本・紹煕本』を忠実に表記した場合、『邪馬臺国』(ヤマタイ国)と読むのではなく『邪馬壹国』(サバイ国)と読むべし、とした説です。

 サバイ=鯖江(さばえ)との事でした。

鯖江とは、越前・福井平野の南に位置する鯖江市の事です。

ここは、地名の由来だけでなく、実際に弥生時代末期の墳墓や出土品が豊富で、大きな勢力が存在していた事は間違いなさそうです。

 

 今回、鯖江市を散策しました。まずは、現地の歴史博物館を見学しました。

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鯖江の位置。[邪馬台国]

 この地図は、邪馬台国のあった越前・福井平野です。

これまで、卑弥呼の墓・丸山古墳がある地域を中心に散策しました。このエリアが邪馬台国の中心だったと考えられますが、弥生時代の遺跡はここだけではありません。

 二番目に遺跡が多く集中している地域は、JR鯖江駅周辺です。

弥生時代だけでも100基近くの墳墓が確認されており、豊富な出土品や、環濠集落跡も発見されています。

 地理的に、邪馬台国の南側の支所の役割を担っていたと思われます。

なお、越前・福井平野には、三つの大河が流れています。九頭竜川、日野川、足羽川です。卑弥呼の墓は九頭竜川流域、今回の鯖江周辺の遺跡は日野川流域を、それぞれ支配していた勢力です。また、足羽川流域にも多くの墳墓群や出土品が発見されていますので、いずれ紹介します。

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鯖江の墳墓群。[邪馬台国]

 この地図は、JR鯖江駅の周辺を拡大したものです。

このエリアには、長泉寺山古墳群と王山古墳群があります。

長泉寺山古墳群は、現地では西山公園と呼ばれており、鯖江市民の憩いの場になっているようです。

春は桜やツツジ、秋は紅葉を楽しめる場所だそうです。また、王山古墳群については、国の史跡として指定されており、墳墓や古墳が良く整備されている場所です。

 どちらにも、弥生時代の大小様々な墳墓があり、色々な出土品が発見されています。

また、このエリアから少し離れた場所には、高地性の環濠集落跡も発見されています。

 今回は、長泉寺山古墳群のすぐ脇にある歴史博物館を見学してきました。

 この歴史博物館(まなべの館)は、特筆すべき点はありませんでした。立派な建物と、ガラスのショーケースに入った出土品の展示という全国のどこにでもある小綺麗な博物館でした。

 鯖江市の概要を知るだけには良いのですが、弥生時代を探求するには、もの足りなかったです。

 なお、この近辺の古墳群の地図や、遺跡の位置については、親切なスタッフさん達が丁寧に対応して下さいました。

 とても感じの良い博物館でした。

 次回は、実際に古墳群を散策した様子を報告します。