神功皇后の航路

 奈良時代に中国東北部・渤海から使者がやってきました。彼らは、冬の季節風と日本海を流れる海流を利用して、効率よく海を渡って、高志の国にやって来ました。

 これは、ある意味当然の事です。なぜなら、弥生時代には中国東北部からの人々が、高志の国に流れ着いた事を示す四隅突出型墳丘墓や鉄器類が残っているからです。

 ところが逆方向、高志の国から中国東北部へ渡った弥生時代の証拠は、ほとんどありません。対馬海流やリマン海流の逆方向を進む事になり、困難な航海ルートとなるからです。

 それでも記紀の神功皇后・三韓征伐のように、高志の国を起点として高句麗へ渡ったという伝説があります。弥生時代からの相互交流があったのは、確かなようです。

 今回、この謎を秘めた逆方向のルートを考察しました。遣渤海使の史実から解明する事で、邪馬台国時代からの中国大陸との交流の可能性を探ります。

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遣渤海使の航路の仮定[邪馬台国]

  渤海使は、秋から冬にかけての季節に、中国東北部の沿岸から高志の国へ一気に海を渡って来ていました。冬の季節風とリマン海流・対馬海流を利用した航路です。

 では、これを逆にしたルートを考えてみます。その場合、出発の時期は南風が吹く春から夏に掛けてとなるでしょう。しかし、対馬海流に逆らい、リマン海流にも逆らう事になります。必然的に、北部九州まで日本海沿岸を小まめに西に進み、対馬海峡を渡り、朝鮮半島南端に辿り着き、さらに、朝鮮半島の東岸を小まめに北上して渤海国に至るルートになります。

 この方法ですと、上手に航海したとしても、40日以上は掛かってしまいます。

渤海から高志への航海日数が10日ですので、雲泥の差です。

 果たして、そんな面倒な事をしていたのでしょうか?

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遣渤海使の実際の航路[邪馬台国]

 遣渤海使の記録から、実際に使われていたルートを推測します。

平城京や平安京を出発した一行は、まず高志の国・松原客館(現在の福井県敦賀市)へ向かいました。この地から、船旅が始まります。出航時期は、やはり南からの季節風が吹き始める春から夏に掛けてです。

 渤海への出航地は、敦賀から九州を目指して西へ向かうのではなく、北へ向かっています。高志の国の中の、福良津・能登・越後の三ヶ所が出航地です。

 高志の国を出航した遣渤海使は、ほかの港に立ち寄る事なく、直接渤海に到着しています。中国東北部までの直線距離1000キロほどを、一気に北上している事になります。

 これは意外でした。中国東北部から高志の国への航路は、たとえ失敗したとしても、海流の特性上、陸地に接岸できる可能性の高い安全なルートです。

 ところが、高志から中国東北部へは、日本海のど真ん中を突っ切って大陸に辿り着いています。

これは、対馬海流の特性を理解していたとしか考えられません。能登半島にぶつかって北上する対馬海流の支流を利用していたのでしょう。

 奈良時代には、すでに対馬海流の性質を十分に理解し尽くしていた事になります。

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遣渤海使の海流の利用[邪馬台国]

 この遣渤海使の航路から、古代に於ける高志の国と中国大陸との交易ルートが浮かび上がります。

リマン海流と対馬海流、そして冬と夏の季節風を利用した航海術です。中国大陸と高志の国の間に、日本海を反時計回りに移動する手段が、古代には確立されていたのです。

 ここで思い起こされるのは、三世紀から四世紀に活躍した神功皇后です。以前に作成した、「神功皇后は卑弥呼」でも考察していますので、ご参照下さい。

 彼女は卑弥呼をモデルとした女傑で、三韓征伐などで有名です。その活躍の拠点は、遣渤海使の松原客館と同じ、敦賀です。記紀には、角鹿笥飯宮(現在の敦賀市気比神宮)に拠点を置いて、朝鮮半島に向かったとされています。

 ただし、記紀には、航路の記載はありません。単純に日本海沿岸を対馬海流に逆らって、西へ向かったと考えられていました。

 しかし、この遣渤海使のように日本海を北上して高句麗に到達し、新羅、百済と、反時計回りに征伐して行ったのかも知れません。その後、九州に上陸して熊襲征伐したのではないでしょうか。

 そして対馬海流に従って、本拠地・敦賀に帰って行ったのです。

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神功皇后も使った日本海航路[邪馬台国]

 遣渤海使は、季節風と海流という自然の動力を上手に使って、日本から中国大陸へ渡っていました。この航路は、奈良時代には既に確立されていた訳ですが、では、いつ頃から使われ始めたのでしょうか。

 三世紀に、神功皇后の三韓征伐がありました。六世紀の高志の大王・継体天皇の時代には、大陸の先進文明が大量に流入しました。

 これらの史実や伝説を大局的に見れば、弥生時代末期の邪馬台国の時代に、高志の国が日本の中心的な存在だったと考えても、何ら矛盾はないでしょう。

 

 次回は、遣渤海使が高志の国や周辺諸国に及ぼした影響を、奈良時代から弥生時代まで遡って、順を追って調査します。