周辺の遺跡

 卑弥呼の墓の周辺には、多くの弥生時代の遺跡や墳墓があります。これまで、いくつかの遺跡や墳墓を散策した画像を紹介しました。今回は、実際の出土品の写真を撮ってきましたので紹介します。

 出土地は、『高柳遺跡』という場所です。

ここは、1990年頃までは水田地帯でしたが、福井市の郊外の大型ショッピングセンター建設などで開発が進み、同時に大量の土器などが発見された場所です。

 土器の時代は、縄文時代から平安時代までの広い範囲ですが、弥生時代末期の土器が多く、邪馬台国の居住地として利用されていた場所と推測されます。

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邪馬台国の遺跡分布

 これまで散策した、邪馬台国の遺跡や古墳群です。

三国、井の向遺跡、松岡古墳群などです。

今回は、卑弥呼の墓の周辺に絞って、遺跡群を調査しました。

この地域は、林藤島遺跡や原目山墳墓群を含む、邪馬台国の中心地だったとみられます。

弥生時代末期の遺跡や墳墓、そして出土品が多く発見されている場所です。

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卑弥呼の墓の周辺。[邪馬台国]

 この地図は、卑弥呼の墓の周辺を拡大したものです。

2.5キロ四方の中に、林・藤島遺跡、原目山墳墓群も入ります。そして、弥生時代の遺跡や墳墓は、これらだけでなく、数多く見つかっています。

 今回、この中で『高柳遺跡』という場所で発見された土器を紹介します。

ここは、1990年代後半から大型ショッピングモールが建設されました。これに促されて、周辺地域も一気に開発されたので、数多くの出土品の発見へとつながった場所です。

 卑弥呼の墓(丸山古墳)一帯は、弥生時代末期の出土品だけでなく、環濠集落跡も数多く発見されています。

 今回の高柳遺跡は、1990年代までは水田地帯だった土地を、商業施設に開発して出土された遺跡です。

 この地域は現在も開発が進むと同時に、北陸新幹線の建設工事などの公共事業が多く行われており、さらなる出土品の発見が期待される場所です。

 なお、世紀の大発見だった『林・藤島遺跡』は、この高柳地区の開発と並行して行われた道路拡張工事によって、1999年に発見された遺跡です。

 近い将来に、このエリアから、大発見のビッグニュースが飛び出して来るかも知れません。