謎の大王 歴史の始まり

 

 長い皇室の歴史の中で、唯一、近畿以外から天皇の座に就いた大王がいます。

 邪馬台国・卑弥呼一族の末裔、第26代 継体天皇です。

 記紀によれば、即位は西暦507年。卑弥呼の死後、250年後の事です。

これは、魏志倭人伝に書かれている邪馬台国と狗奴国との戦いが、終結した事を意味します。

 また、それまで神話でしかなかった日本の歴史が、「紙」に書かれるようになった時代でもあります。

 「有史以来」という言葉は、「継体天皇以来」を指しています。

継体天皇1
第二十六代 継体天皇の像 福井市足羽山

継体天皇2
年表: 一世紀から八世紀

 日本の歴史は、六世紀を境に、神話の時代と有史の時代に分けられます。神話の時代は、八世紀に書かれた古事記や日本書紀の神話から想像される日本の姿です。

 一世紀の出雲国引き伝説、二世紀の熊襲反乱、三世紀の神功皇后伝説などです。四世紀から五世紀は、記紀に記された時代と合致する神話のない空白期です。

 この神話の時代の各地の様子は、地質調査や考古学資料、魏志倭人伝などから推測されます。

 

 一世紀に高志に巨大農地が出現。二世紀に出雲に大農地が出現。三世紀に邪馬台国が中国へ朝貢。四世紀に近畿地方が古墳時代に入ります。そして、五世紀には、高志の国で紙の国産化が始まり、六世紀の、歴史が紙に書かれる時代へと入って行きます。

 なお、神話の時代の空白期ですが、ヤマタノオロチ伝説、大国主命伝説、神武東征伝説は、この時代での出来事をモデルにしていると思われます。六世紀に入って、高志の国・越前に出自のある継体天皇が即位するための、地ならし的な事件と考えれば、整合性が取れる伝説です。

継体天皇2
継体天皇の即位は、古代の「明治維新」

 六世紀初頭の508年。高志の国・越前から謎の大王が即位します。第26代継体天皇です。

 高志の国の進んだ文物が、文明後進国だった近畿に一機に流入し、近代化が図られました。鉄や紙、文字、馬などの家畜類、などです。

 また、六世紀後半には、継体天皇のひ孫の聖徳太子などによって、律令国家、中央集権国家を目指して、飛鳥時代に入って行きます。

 これは、あたかも西洋文明が一気に流入し、政治体制が一新された明治維新を思わせる大革命の時代です。

 残念ながら、七世紀には大化の改新・壬申の乱などの、畿内での内乱が相次ぎ、それまでに書き溜められた歴史書がほとんど焼失してしまいました。

 そこで改めて書かれた歴史書が、古事記や日本書紀です。

当時は、藤原氏一族が朝廷を牛耳っており、藤原氏に忖度した内容の歴史書である事を、忘れてはなりません。

 記紀の中では、越前・邪馬台国の大王が、近畿を武力で制圧したとの記述は一切ありません。有力豪族の大伴氏が招聘したという形を取っています。

言うまでもなく、記紀は、皇室の長い歴史を正当化する為に書かれたものですので、王朝交替を連想させる記述はありません。

 その中で、明らかに尋常では無い皇位継承、近畿への文明の流入は注目に値します。

 越前に出自を持つ「謎の大王」の出現。

 次回は、継体天皇の出自や皇位継承までの具体的な内容を検証します。