畿内説

 

畿内説

  •  弥生時代末期の農業生産量: 多い

   二つの大きな淡水湖が、徐々に干上がる過程であり、水田稲作に適した耕地面積は広かった。

   また、京都盆地・奈良盆地のなだらかな丘陵地は、畑作に適している。

   当時の農作物収量は、全国トップレベルだった。

  • 出土品: 豊富

   土器:  豊富 東海地方の土器が多いが、全国各地からの多くの土器が出土。

   青銅器: 豊富 近畿独自に製作された青銅器が多いが、主に装飾用。

   鉄器:  微量 九州、出雲、高志と比べると、ほとんど出土されていない。

   装飾品: 豊富 緑色凝灰岩や瑪瑙(メノウ)等を素材とした勾玉類が多数出土。 

  • 魏志倭人伝との整合性: 距離的には一致

   投馬国(丹波・但馬)からの行程に、無理がある。租庸調の運搬が困難。

   投馬国を出雲や吉備とした場合、陸路がさらに多くなり、租庸調の運搬は不可能。

  • 発掘調査に投じられる国費: 莫大

   纏向遺跡などに巨額の国費が投じられ、毎年予算編成の時期になると”世紀の大発見”が発表される。

   奈良県櫻井市は、恵まれた環境である。

  • その他:最も支持者の多い説です。後の古墳時代以降は紛れも無く日本の中心でした。

   但し、鉄器の出土がほとんど無いのは、致命的です。