継体天皇

継体天皇像
卑弥呼一族の末裔・継体天皇[邪馬台国]

 継体天皇(450年頃の生まれー531年頃死去)、第26代天皇。在位期間は、507年ー531年。卑弥呼一族の末裔です。

 古事記や日本書紀では、「応神天皇の5世孫」とされています。滋賀県高島町に生まれたことになっています。幼少期に福井県丸岡町に移住し、そこで成長しました。55歳を過ぎてから、大伴氏の招聘で天皇に即位したとされています。文献史学上の名前を男大迹王(をほどのおおきみ)といいます。

 

 系譜図を下に示します。応神天皇から150年を経て、僅かな血縁関係から天皇に即位した謎多き天皇です。血縁の薄さと越前出身という事から、天皇系統の交替があったと見られています。現代でいえば、タレントで明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏のお子様が、次の天皇に即位するのと同じ事なので、素直に記紀を信用するのは困難です。

 

 邪馬台国(越前)出自の継体天皇の勢力は、鉄器や紙の先進文化と共に、後進地域・狗奴国に進攻し、近畿地方の近代化が推し進められたと見るべきでしょう。

 

 なお古代日本を語る上で、「有史以来」という言葉を使いますが、これは継体天皇の時代に、日本で初めて紙が生産され(越前和紙)、語り部の伝承から紙に歴史が書かれるようになった最初の天皇という意味です。

 また文献史学上、確実に存在した最も古い天皇です。それは、記紀以前の歴史書「上宮記」に登場しているからです。これは蘇我一族時代の歴史書で、敵対勢力・藤原一族の歴史書「日本書紀」の両方に登場するという、確実性の最も高い天皇だからです。

 なおヤマト朝廷という名称は、継体天皇がヤマト勢力を名乗っていた事から付けられた呼び名です。

 ちなみに、聖徳太子は継体天皇の曾孫です。

 

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天皇家の家系図
継体天皇の皇位継承は謎に満ちている。[邪馬台国]