神武東征はただの神話か?

 日向の国・宮崎県は、日本書紀に記されている神話の神々が宿る場所として知られています。

高千穂の地に天孫降臨した瓊瓊杵尊から、初代神武天皇が日向の国から近畿地方へ東征したとされています。時代としては、まさに弥生時代の出来事として認識されていますが、そのような根拠がこの地にあるのでしょうか? 古代農業や弥生遺跡からは、この地に大きな勢力があった可能性は非常に低いので、神武東征は奈良時代に創作された神話に過ぎないでしょう。

 日向の国(宮崎県)は、記紀に記されている神武東征だけでなく、天孫降臨の高千穂など、神々が宿る国というイメージがあるのではないでしょうか?

 瓊瓊杵尊に始まる天皇家は、この地から始まったとされ、日向三代の後の神武天皇が近畿に攻め上ったとされています。これを元に、日向三代の陵墓が宮内庁によって鹿児島県に治定されたりもしています。

 しかし冷静に日向の古代の様子を眺めれば、これらはあまりにもお粗末で、あり得ない事と思えます。奈良時代に中国史書を元に創作されたファンタジーの色合いが強く感じられます。

 まず農業の視点です。

この地図は、日向の国・宮崎県を拡大したものです。

地形的に大規模な天然の水田適地と思われるのは、都城盆地です。かつて淡水湖があった場所で、その水が干上がって出来た沖積平野です。水田稲作には理想的な成り立ちなのですが、残念ながら土の質が稲作には適しません。周辺に多くの火山がありますので、その火山灰の上に繁殖した植物が腐食して出来た黒ボク土が、地表を覆っているのです。黒ボク土は、リン酸成分を欠乏させたり、ほくほくと水はけが良かったりと、水田稲作には不向きな土です。現代でこそ地質改良によってこの地でも水田稲作が行われていますが、古代に水田稲作が行われたとは考えられません。

 次に、現代の宮崎県の平野のほとんどを占める宮崎平野です。現代でこそ広大な平野が広がっていますが、ここを中心とする海岸線は、すべて河川による沖積平野です。弥生時代にはまだほとんどが湿地帯か、海の底でした。水田稲作が行なえたのは、当時の海岸線の一部の地域だけです。また土の質は、都城盆地と同じように黒ボク土ですので、水田稲作には適しません。

 もちろん、水田適地が全く無かったわけではなく、局地的には存在していたでしょうし、畑作農業には適した場所ですので、少ないながらも弥生人が生活していたのは確かでしょう。

 このように農業の視点からは、古代の日向の国には大きな勢力が存在していたとは考えられません。そしてそれを裏付けるように、弥生遺跡の分布もまばらです。

 この地の弥生遺跡で特筆すべきものはありませんが、強いて上げるならば、

川床遺跡があります。ここは、邪馬台国時代の宮崎県における最大規模の墓地です。円形周溝墓・方形周溝墓も含む土坑墓195基が見つかっています。鉄器の副葬品は91点あり、この地域の出土数としては最多です。

 宮崎県内にはこのほかにも、生活用の土器類が出土している遺跡はあります。しかし、強力な王族が存在していた事を示す威信財が出土した遺跡はほとんどありません。いわば、弥生遺跡の空白地帯とも呼べる地域です。

 もちろん瓊瓊杵尊が天孫降臨したとされる高千穂も、弥生土器の出土はありますが、それ以上のものは何もありません。弥生時代にこの地に神話が生まれるだけの根拠となる顕著な弥生遺跡はありません。

B: ちょっと、待って?

 

A: なっ、なに?

 

B: 高千穂って、天孫降臨だけじゃなくて、その前の天照大御神の「天岩戸」もあるじゃないですか? 日本神話の起源みたいな場所でしょう?

 

A: そうね。日本書紀を素直に読めば、高千穂が起源になるわね。それを元に宮内庁は日向三代をはじめとする天皇家のご先祖様を大切にしていますね。それはそれでいいと思います。

けれど神話は神話でしかありません。実際はどうだったかを検証するには、日本書紀なんかを当てにしちゃダメですよ。

 

B: じゃ、どうして日向の国がそんなに大切な場所に選ばれたのでしょうね?

 

A: これには色々な説があります。

有名なところでは、日向は宮崎県ではなく、本当はほかの地域にある日向だとする説があります。特に、福岡県の糸島市には「日向」という地名が残っていますので、その場所が本来の日向だとする説です。糸島は弥生遺跡が豊富な場所ですし、魏志倭人伝の伊都国と比定される場所でもありますので、こちらの方が説得力があるような気がします。

 

B: ふーん? そういえば、伊都国って女王国の玄関口みたいな場所ですものねー?

 

A: そうね。それとは別に、私の意見なんだけど、日本書紀が記された奈良時代の権力者・藤原氏一族の出身地が、日向の国だったからなんじゃないかと思うんです。これは、以前の動画「神武東征は藤原氏の東遷」で考察していますので、参考にしてね?

 

B: なるほどね? けど、その場合でも藤原氏一族が現れるだけの国力が、日向の国にあったって事になりますよね?

 

A: その通りです。日向の国は、弥生時代には全く国力が無かったけれど、古墳時代に入ると一気に国力が付いたのです。この時代の古墳の数や規模では、九州で一番なんですよ。

 

B: すごーい。でも弥生時代には何も無かったのに、なんで古墳時代になったら急に国力が付いたのでしょうね?

 

A: それは・・・。今回は時間が来たので、次回の動画で説明しまぁーす。

 

B: えーーーー?

  このように、農業や遺跡から、弥生時代の日向の国には、日本神話に語られるだけの力は無かったと推測します。天照大御神から神武東征に連なる日向の国は、素敵なファンタジーではありますが、真実ではないでしょう。

 しかしながら次の時代、すなわち古墳時代に入ると日向の国の状況は一変し、強力な国力を持つ事になります。この時代こそが、奈良時代に日本神話の元ネタになった日向の国の姿だと推測します。

 古代の日本列島の状況を洞察するには、その当時の農業の状況を推測するのが一番正確でしょう。いくら古文書に立派な物語が描かれていようとも、その地の基盤となる農業状況が脆弱であれば、全く真実味を失ってしまいます。日向の国の弥生時代がそれに当たります。そして古墳時代に入ると、農業状況が一変して神話の元ネタに信ぴょう性が生まれてきます。次回は、そんな日向の国の古墳時代を考察します。