熊本・阿蘇説

 熊本説は、九州説論者の多くが、邪馬台国のライバルの狗奴国と比定してきました。玄界灘沿岸から筑紫平野までを、邪馬台国、それより南の熊本を狗奴国、とすれば、九州説を説明しやすかったのでしょう。邪馬台国のライバルとしたのには、それなりの理由があります。

 

 ・弥生時代の遺跡がある

 ・鉄器出土がある

 

などです。ところが、邪馬台国ブームが起こった頃から、突然、熊本が邪馬台国であるという、トンデモ説が飛び出してきました。

熊本
熊本・阿蘇説

熊本県
現代の熊本県の地形
熊本0
邪馬台国時代の熊本県の地形

 この地図は、現代の熊本県です。大きな平野としては、熊本平野と八代平野があり、東部山岳地帯には、阿蘇外輪山にかこまれたカルデラ盆地があります。

 この内、八代平野は弥生時代末期には、ほぼ海の底でした。熊本平野は、九州第二の広さを持つ平野ですが、ここもまた、大部分が海の底でした。1800年前の弥生時代末期は、6000年前の縄文海進後のジャングル地帯や湿地帯が多く、耕作に適した土地はわずかでした。これは、筑後川流域の甘木・朝倉地域と同じ理由で、三日月湖が点在する程度の僅かな耕地しかありませんでした。

 

 さらに不都合な事に、土の質が火山の影響による黒ボク土です。有機物が多く、畑作には適した土ですが、水田稲作には不向きです。リン酸分が欠乏する為です。

 現代でも、この地域が畑作中心となっているのも、黒ボク土が理由の一つです。

 また、阿蘇外輪山に囲まれた盆地は、カルデラ地形であり、酸性で養分に乏しく農業に不向きな火山性土壌です。現代でこそ土壌改良を繰り返して、水田稲作も行えるほどの地質になっていますが、弥生時代には雑草が生える程度でした。


【黒ボク土】 (ウィキペディアより)

 黒ボク土は、北海道・東北・関東・九州に多く見られる。母材である火山灰土と腐植で構成されている。表層は腐植が多いため色は黒色、下層は褐色となる。火山山麓の台地や平地でよく見られる。火山噴火により地上に火山灰が積もり、その上に植物が茂る。枯れた植物は分解されて腐植となり、長い時間をかけて黒ボク土を形成する。火山灰と有機物が結合するため、日本国内の他の土壌と比べると有機物の量が非常に多いうえ、有機物の効力で植物に適した団粒構造をなす。保水性や透水性が良く、土の硬さが低く、耕起が容易であることから他の土壌に比べて物理性は良好である。

 一方で、アルミナの影響でリン酸分の吸着力が高いため、リン酸分が不足しやすく、施肥をおこなわないとやせた土壌となる。

黒ボク土1
日本全国の黒ボク土の分布
黒ボク土2
その名の通り、黒い土。

 以上のように、熊本では弥生時代末期に爆発的な人口増加は考えられません。点在する三日月湖周辺に、小国が林立していたと思われます。遺跡や出土品があるのは、単に朝鮮や中国に近いという理由だけです。ただし、北部九州もまた小国の集まりでしたので、熊本もそれに対抗する小国集団だった可能性は、否定できません。