『紙』の威力

 越前・邪馬台国から出現した謎の大王 継体天皇

近畿・狗奴国を征服できたのは、渡来人による強力な先進技術を持っていたからです。鉄や馬などの様々な先進技術の中で、最も強力な武器は、『紙』でした。

それまでは、木簡などに文字を書く程度だった近畿地方の豪族達は、紙に書かれた書状を見て、戦わずして降伏したのではないでしょうか?

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近畿・狗奴国の文化レベルは低かった。

 継体天皇が越前から紙を導入する前の、近畿地方の文化レベルです。

天皇の系譜や歴史は、「語り部」と呼ばれる役人が様々な物語を記憶して、次の世代へと語り継いでいました。根拠に乏しい物語ですので、伝承して行くにつれて脚色され、必然的に神話となったと思われます。

 一方、中国からの文字も僅かに伝来していた様ですが、木簡や麻布に記したり、鉄剣に彫ったりした程度で、歴史書のような、まとまった量の情報が残される事は、ありませんでした。

 そんな文明後進国の近畿地方に侵略して来たのが、渡来人たちを引き連れた継体天皇だったのです。紙と文字を近畿地方に教え、天皇系譜図や歴史書が紙に書かれるようになりました。

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継体天皇の紙による豪族衆の懐柔

 まず、継体天皇が侵略したのは、琵琶湖のある近江の国です。日本海の小浜から峠一つ越えた高嶋の地に拠点を置きました。そこは、近畿へ水路で繋がる最高の拠点です。

 継体天皇がそこで最初に行った事は、近江の国の豪族衆の懐柔です。武力で制圧するのも一つの手段ですが、武力には武力で対抗されます。無益な血を流すよりも、豪族達を納得させて味方に引き入れる方が、遥かに得策です。

 継体天皇は、近江の豪族達に自らの出自が近畿・狗奴国の王家、すなわち天皇の血筋であることを、『紙』に系譜図を記して配布していったのでしょう。

 近江の国という、内陸の世間知らずな豪族達は、初めて見る『紙』と、そこに記された天皇系譜図を見て、成すすべもなく懐柔された事でしょう。

 また、近江の豪族達自身の系譜も、それぞれ『紙』に書いて、権威付けを行ったと見られます。

 実際に、琵琶湖沿岸の豪族達の系譜の資料は、古事記・日本書紀だけでなく、その前の時代に書かれた『上宮記』にも詳しく載っている事からわかります。

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日本で最初の紙の生産:越前市五箇地区

 日本で初めて紙の生産が始まったのは、越前和紙です。福井県越前市の五箇地区という場所で、継体天皇の命により生産が始まったとされています。現代でも、高級和紙の生産が日本一で、「越前和紙の里」という観光施設もあります。

 日本初の紙の生産は、もちろん、越前・邪馬台国の民が自ら発明・考案して始めたわけではないでしょう。

 越前市近辺には、朝鮮半島ゆかりの地名が数多く残っています。渡来した新羅人たちの居住地となっていたようで、周辺には、新羅神社や白髭神社など、新羅の国名に関連する名の神社が多数見られます。いずれも、新羅系、加羅系の氏族が祖神を祭ったのが始まりのようです。

 また、ここを流れる「日野川」は、古代には「叔羅川(しらきがわ)」と呼ばれていました。どちらも、新羅との関わりを感じさせる名です。

 これらの事から、渡来人たちがこの地に移り住んで、紙の生産を始めたのでしょう。

 なお、継体天皇が近畿侵略の拠点とした高嶋にも、同じように渡来人の名残があります。白髭神社やオンドル住居跡などです。越前に居住していた渡来人たちが、継体天皇の近畿侵略と同時に、琵琶湖湖畔の近江の国に移住したのでしょう。

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漢字の伝来

 紙に書くための文字、すなわち漢字は、近畿にも少しずつ伝来していたようです。しかし、木簡や麻布に書かれる程度で、ほんのわずかでした。漢字もまた、紙の生産と共に、近畿地方に一気に流れ込んだと見られます。

 漢字は、天皇の系譜図、歴史書、権威を示す書状、などに活用されました。それらは、漢文体で書かれていたと思われます。八世紀の日本書紀でさえ漢文体ですので、当時は漢文体が標準だったでしょう。

 当然ながら、漢字・漢文は中国系の渡来人の活躍です。

残念な事に、それらの「紙」は、七世紀の「乙巳の変(いっしんのへん)」や「壬申の乱」で、ほとんど焼失してしまいました。

 その後、八世紀に藤原氏一族の監修の下、古事記・日本書紀が編纂される事になります。

 この様に、『紙』という当時の情報戦術を一変させた技術で、継体天皇の近畿侵略が成功しました。この『紙』の生産に関わっていたのも、やはり渡来人たちでした。越前は卑弥呼時代から、中国・朝鮮との交流が深く、継体天皇の時代にようやく邪馬台国の宿敵・狗奴国を滅ぼし、近畿に文明をもたらしたという事です。

 現代では、パソコン、スマホ、インターネットが、一般人の情報の幅を大きく広げました。

 古代においては、『紙』と『文字』の流入が、後進国だった近畿の人々の生活や政治体制を、大きく進化させたのではないでしょうか。