文明の伝道師は縄文人の帰国子女

 隠岐の島の黒曜石の流れから、縄文時代には、

  「環日本海全域に縄文人が住んでいた!」

という可能性を指摘しました。これが正しければ、弥生時代の様々な出来事との整合性が取れてきます。

 今回は、まず因幡の国・青谷上寺地遺跡から出土した人骨を再検証します。

人骨のDNA鑑定結果からは、縄文系と大陸系が強く現れていました。弥生後期という、弥生人が支配していたはずの時代に、この結果は意外なものでした。

 しかしながら、中国大陸の日本海沿岸部に縄文人が住んでいたならば、鑑定結果は至極当然と言えます。

 以前の動画で立てた仮説から180度転換した新たな仮説です。

伝道師10
青谷上寺地遺跡の仮説の否定

 今回は、以前の仮説を否定して行きます。

動画「弥生後期の渡来人と縄文人」の中で立てた仮説に、疑問符が付く内容が多くありました。

 この仮説の概要です。

まず、中国東北部において、高句麗の勢力拡大が始まり、対抗勢力がボートピープルとなりました。彼らは、リマン海流と対馬海流に流されるまま、出雲地方へと流れ着きました。

 そこには、既に北部九州から広がっていた揚子江系の弥生人達が住んでいました。水田稲作文化の強力な勢力の為に、高句麗から漂着したボートピープルは、山間部へと追いやられてしまいました。山間部には、弥生人達とは同化しなかった縄文人たちが残っていて、混血が始まります。やがて彼らは、平野部へと勢力を伸ばし、水田稲作の優位性を理解して、弥生人たちと同化して行きました。

と、このような仮説を立てていました。

 この中で、まず遊牧民族の高句麗人は、ボートピープルにはならないでしょう。前回の動画で紹介しました様に、八世紀の渤海使でさえ、彼らはお粗末な航海技術しか持っていませんでした。ましてや、これは二世紀の話ですので、言うまでもありません。逃げるとすれば、船に乗るのではなく、馬に乗って陸地を逃げたでしょう。一方で、もし縄文人の末裔が大陸の沿岸部に住んでいて、その地から逃げ出すとすれば、船に乗って逃げるでしょう。彼らは、元々海洋民族ですから。

 もうひとつ、否定すべき点があります。それは、縄文人が山間部で隠れるように住んでいた、とした仮説です。

伝道師20
縄文人が上層部、弥生人が労働者

 もちろん弥生時代後期でも、山間部に住んでいた縄文人は残っていたでしょうが、むしろ弥生人の方が山の中に住んでいたのではないでしょうか。そもそも「高地性集落」という山の中の狭い場所で、細々と水田稲作を営んでいたのが、弥生人です。

 海岸線の平野部は、縄文人が支配しており、その下の立場に弥生人がいたのです。縄文人の庇護のもとに、農業労働者として弥生人たちが使われていた、という図式の方が自然に思えます。

 また、青谷上寺地遺跡の人骨DNA鑑定結果を精査すると、これらを裏付ける証拠が見えてきます。

 では、もう一度、青谷上寺地遺跡の鑑定結果を見てみましょう。

伝道師30
縄文人は環日本海全域にいた!

 この鑑定結果では、32人分を解析し、母親から受け継がれるミトコンドリアDNAから、31人が中国大陸系、1人が縄文系だという事が分かっています。また、大陸系31人のうち、保存状態の良い6人について解析した結果、父親から受け継がれるY染色体を抽出できた4人中、3人は縄文系で、大陸系は1人だったという事です。

 これらの事から、以前の考察では、青谷上寺地遺跡に住んでいた住民は、中国大陸から流れ着いた渡来人と、日本列島に隠れるように住んでいた縄文人との混血である、という仮説を立てました。

 ここで、重要な点を見落としていました。母親から受け継がれるミトコンドリアDNAに極端な偏りがある事です。大陸人の母親が31人に対して、縄文人の母親がたった1人です。つまり、父親が縄文人で、母親が大陸人である、という可能性が高いという事です。

 これは、「環日本海全域に縄文人が住んでいた!」という事の裏付けではないでしょうか。

伝道師40
縄文人は、港、港で大陸女と交わった!

 つまり、縄文人たちは日本海沿岸地域をダイナミックに航海していた、という事との整合性が取れるのです。中国大陸の沿岸地域一帯は縄文人が支配しており、彼らは、現地の大陸系の女性たちと交わり、多くの混血児を設けたというわけです。

 もちろん、海を渡った縄文人は男だけだったとは限りません。神功皇后のように勇ましく海を渡った女性もいた事でしょう。しかし、普通に考えれば、血の気の多い若い男たちが荒波を乗り越えて対岸に辿り着き、港、港で種をまき、子孫を増やして行った、と見るのが自然ではないでしょうか。

 そして、中国大陸の日本海沿岸地域で生まれ育った混血児たちが、再び海を渡って日本列島に帰って来たのです。その人々が青谷上寺地遺跡で発見された人骨の主、と捉える方が可能性は高いのではないでしょうか。

 弥生時代以降に、日本列島に文明を伝えたとされる「渡来人」とは何者か?

その多くは、新羅や百済などの朝鮮半島からやって来た人々を指しますが、現代の朝鮮人の祖先ではありません。

 また、古代において朝鮮半島の大部分には「倭人」、つまり現代の日本人の祖先が住んでいた、との説があります。

あまりにも荒唐無稽な説、と思われましたが、今回の青谷上寺地遺跡のDNAからの仮説のように、縄文時代にまで遡れば、かなりの説得力が出てきます。

 弥生時代の鉄器技術や、古墳時代の様々な中国大陸の先進文明を日本列島に伝えたのは、「縄文人の帰国子女」と言えるかも知れません。