古代の製鉄所

 前回は、邪馬台国時代の高志の国の航海技術について考察しました。その当時すでに大型船舶を所有し、日本海大いに動き回っていた事が分かりました。

 この大型船舶を使った交易について、順を追って探求して行きます。

交易内容は、翡翠の輸出、鉄の輸入という単純なものだったと思われます。鉄の入手場所については、朝鮮半島南部が鉄の産地だと、魏書烏丸鮮卑東夷伝の弁辰伝に記されています。確かに、その地で古代製鉄所跡が発見されています。但し、製鉄に関しては問題が複雑に入り組んでいるので、整理する必要があります。

 日本での製鉄は、古墳時代中期以降にならないと始まりません。邪馬台国時代にはありませんでした。朝鮮半島からの輸入に頼っていたのです。

 今回は、製鉄所の問題点や、邪馬台国が自ら製鉄所を作らなかった理由を、洞察します。

製鉄1
鉄器ができるまで

 製鉄所について語る前に、原料から鉄器が出来るまでの流れを再確認します。

 自然界には鉄は存在しません。原料となる鉱物資源は、鉄鉱石や砂鉄といった酸化鉄です。この酸化鉄を還元して、鉄を精製します。さらにこの鉄を加工して、鉄剣や斧などの鉄器製品に仕上げます。

 この過程において、鉄を精製するための製鉄所が必要です。酸化鉄と炭素を化学反応させて、鉄が出来上がります。中国大陸や朝鮮半島では、紀元前から製鉄が始まっていましたが、日本では、五世紀頃とされていますので、国内生産は、かなり遅れています。

 また、鉄から鉄器へ加工するには、鍛冶の技術が必要です。高志の国・越前では、邪馬台国時代の二世紀には既に鍛冶の技術がありました。翡翠工房・林藤島遺跡では、二千点を超える大量の鉄器と、鍛冶場跡が見つかっています。

 この中で、問題は製鉄所です。酸化鉄から鉄を精製する為に、大量の『炭』が必要になります。

これは重大問題で、古代における製鉄所は国を滅ぼす『恐怖の工場』と言える厄介者なのです。

製鉄2
製鉄には大量の木材

 古代の稚拙な製鉄所において、鉄1トンを作り出すには、砂鉄が12トン、木炭が14トンも必要になります。さらに木炭1トンを得るには、薪が60トン必要なので、840トンになります。つまり、鉄1トンを作る為に砂鉄12トン、木材は840トンも必要となるのです。

 石炭が豊富に採掘される中国東北部ならばともかく、日本や朝鮮半島南部では石炭が少ないので、膨大な量の木材を切り出す必要があります。

 製鉄するたびに、山は禿山となり、土砂崩れや洪水が頻発し、川の水に栄養分が無くなり、農業生産は極度に落ち込んでしまいます。製鉄所は、その地域の山々を次々に禿山にして、そこに住む人々は困窮し、滅びて行くのです。

 このように製鉄所を造る事は、極端に危険な事で、現代で例えるなら、原子力発電所を造るようなものだったのです。

製鉄所3
五世紀以降の製鉄所分布

 五世紀から始まった日本国内での製鉄所の位置からも、その事が分かります。決して、中心都市の近くに製鉄所を作る事はせず、辺境の地ばかりです。

 高志の国の植民地だった出雲地方、丹後半島、継体天皇が拠点として利用した琵琶湖沿岸、吉備の国などです。これらは、現代の原子力発電所を、辺境の地に建設するのと同じ理屈です。

 時代を遡って、邪馬台国時代の二世紀~三世紀には、日本国内では製鉄を行っていません。倭国の植民地だった朝鮮半島南部で製鉄を行い、そこで生産された鉄を輸入する形を取っていました。朝鮮半島南部は、わずかに鉄鉱石が産出されますが、特別多いわけではないので、倭国によって利用されていたと見る方が自然ではないでしょうか。

 鉄は必要だけれど、製鉄所という厄介者を持ちたくなかった、邪馬台国・卑弥呼のしたたかさだと言えるでしょう。

製鉄4
二世紀~三世紀の製鉄所

 魏書東夷伝では、朝鮮半島南部での鉄の交易の実態が描かれています。その地域の製鉄所跡の遺跡から、間違いない記述でしょう。しかし、中国東北部や日本海沿岸地域の記載はありません。単に、魏という国が日本海沿岸まで勢力を及ぼしていなかったのが理由です。

 一方、鉄の生産が最も進んでいた地域は、豊富な石炭や鉄鉱石のある中国東北部です。木炭に頼る必要もなく、露天掘りできるほど、地下資源が豊富だからです。

 邪馬台国・高志の国の、鉄の輸入元は、朝鮮半島南部、または中国東北部と思われます。日本一の鉄器出土があった越前・林藤島遺跡の鉄器成分を検査すれば、どの地域からの輸入か明確になりますが、現在のところ、行われていません。

 いずれにしても、高志の国が中国・朝鮮から直接、鉄を輸入していたのは間違いありません。

 高志の国は、二世紀~三世紀の邪馬台国の時代には日本海1000キロを横断する航海技術を持っていました。それを考慮すれば、中国東北部からダイレクトに鉄を入手していたと見る事も出来ます。但し、証拠に乏しく、三国志の魏書東夷伝に明示されている朝鮮半島南部からの輸入ほど、実態は見えてきません。

 「航海術」と「鉄の生産地」の両者を鑑みながら、高志の国の日本海での活動を追って行きます。

 次回は、邪馬台国時代に倭国の植民地だった朝鮮半島南部の事情や、高志の国との『鉄』⇔『翡翠』の交易状況を考察します。