火山の影響 中南部九州

 今回からは、北部九州以外の九州島の弥生時代を調査して行きます。

地域区分として明確な基準はありませんが、ここでは現在の長崎県南部、熊本県、鹿児島県、宮崎県、大分県南部を中南部九州と定義します。

 この地域の古代史で最も有名なのは、記紀に記されている神話が日向国(宮崎県)を起源としている事です。天孫降臨や神武東征の起点が日向の国ですので、弥生遺跡の中に何らかの根拠が見つかるかも知れません。

 まずは古代国家出現の基本である「農業の視点」から、中南部九州を俯瞰してみます。

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水田適地

 これは九州全体の地図です。この中で天然の水田適地をピックアップします。

淡水湖跡の沖積平野では、直方平野、日田盆地、菊池盆地、人吉盆地、都城盆地などがあります。また、河川による沖積平野では、筑後川下流域の有明海沿岸地域、熊本平野、八代平野、宮崎平野などがあります。ただし、河川による沖積平野は、弥生時代にはほとんどが海の底でしたので、現代のような広大な平地は広がっていませんでした。

 中南部九州での弥生時代の水田適地を絞り込むと、やはり淡水湖跡の沖積平野である、菊池盆地、人吉盆地、都城盆地、あたりが農業生産の高い地域だったと推測されます。

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黒ボク土

 九州の中部から南部にかけての農業の様子を考察する場合、北部九州とは明らかに異なる点があります。

それは多くの火山が存在する事です。たとえ地形の上で水田適地だとしても、火山による土壌の質という点で、水田稲作には適さない場所なのです。

 火山灰の上に繁殖した植物は、枯死した後には「黒ボク土」と呼ばれる土壌へと変化します。この黒ボク土は、リン酸成分を欠乏させる為に、稲作には適さない土壌なのです。具体的には、以前の動画「稲作の敵 黒ボク土」にて述べていますので、ご参照下さい。

 この黒ボク土は、稲作には適さないものの、畑作農業には適しています。現代でこそ、土壌改良や化学肥料などによって、この地域でも多少の水田稲作は行われています。しかし現在でも、相変わらず畑作による収穫物が主流である事から、黒ボク土の影響の強さが窺い知れます。

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火山

 これは、九州における黒ボク土の分布図です。

やはり、中部から南部にかけて多くの黒ボク土地帯が存在します。この地域には活火山が多いからです。阿蘇山、雲仙普賢岳、霧島山、桜島など、現代でも活発に活動を続けている火山群があり、太古の昔から大量の火山灰を降らせています。

その上に育った植物が、やがて黒ボク土へと変化したのです。

黒ボク土は、稲作には適さずとも、畑作農業には適してはいますが、これらの活火山の活動によって成育した農産物への被害は常に起こっていたでしょう。現代でも、しばしばこの地域の火山による農業被害がニュースになっていますが、太古の昔から、あまり人が住めるような場所ではなかったという事です。

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稲作不適地

 水田稲作の伝来と、黒ボク土との関係性も、しばしば結び付けられます。

中国・長江流域で発達した水田稲作文化が、なぜ北部九州に伝来したか?なぜ中南部の九州ではなかったか?

という点です。

 黒潮や対馬海流の流れから、長江流域の文化が最初に流れ着く場所は、北部九州ではなく、中南部九州のはずです。ところが、日本最古の水田遺構は、紀元前九世紀の菜畑遺跡や、紀元前五世紀の板付遺跡といった玄界灘沿岸地域です。これらは地形的には水田適地ではありません。しかし土壌の点では、黒ボク土ではなく「低地土」という水田稲作に適した土質です。

 おそらく、中南部九州へは、北部九州以上に多くの長江流域からの漂流民が流れ着いたことでしょう。水田稲作文化を持った人々です。ところが、中南部九州では稲が育たなかった為に、水稲栽培が全く広がらなかったのではないでしょうか。

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関東も同じ

 同じような事が、関東地方への稲作文化が遅れた事実からも見て取れます。

関東地方の土も、中南部九州のものとは性質は異なりますが、黒ボク土の一種です。天然の状態では、水田稲作には適しません。

 弥生時代において、北部九州から始まった水田稲作ですが、直方平野で大規模水田と遠賀川式土器という文化が確立されて、日本列島全域に広がって行きました。

 最初のころは対馬海流に従って、北部九州から青森までは一気に伝播しました。そして内陸部へと広がりましたが、太平洋側への伝播は遅く、関東地方が最も遅くなりました。これは、「関東地方は縄文文化が根付いていたから」という言い訳をよく耳にしますが、そうではないと思います。黒ボク土という水田稲作には適さない土だったので、なかなか普及しなかったと見る方が自然でしょう。

 このように、農業の視点からは中南部九州には、大きな勢力が出現できる要素はありません。また、考古学的にもあまり特筆すべきものはありません。王族の存在を窺わせる「威信財」の出土が少ないのです。せいぜい熊本県に鉄器の出土が多い程度でしょう。文献史学上では、記紀の天孫降臨の日向の国・高千穂や、初代・神武天皇による東征という神話の舞台となっています。その為、様々な曲解がなされて邪馬台国の比定地として、名乗りを上げている地域ではあります。

 次回から、中南部九州のそれそれの地域における弥生時代の具体的な考察を行って行きます。