井の向遺跡

 邪馬台国・越前は、青銅器の時代がありません。卑弥呼時代の鉄器の出土が日本一多いのに対して、銅鐸や銅鏡の出土が少ない事が理由です。実用性に乏しい青銅器には、興味が無かったのでしょう。但し、わずかに出土した青銅器の中には、非常に貴重な銅鐸があります。越前が邪馬台国の時代に、九州や朝鮮との交易が盛んだった事を窺わせる銅鐸です。

 「井の向遺跡」から出土した銅鐸は、三基です。

 今回は、この「井の向遺跡」の中で、銅鐸二基が発見された地区に『大石銅鐸の碑』がありますので、そこを散策してきました。

井の向0
井の向遺跡の銅鐸の特徴[邪馬台国]

 井の向遺跡から出土した銅鐸は、弥生時代後期の二世紀頃です。卑弥呼が出現する前の、邪馬台国が徐々に巨大化してきた時代です。越前・福井平野はこの時期に、淡水湖の水が引き始め、広大な大規模水田地帯となり、巨大国家の礎が出来つつあった時代です。

 銅鐸に描かれている絵は、船の絵と、戦いの絵です。特に、船の絵が描かれた銅鐸は、全国で唯一これだけです。日本最古の船の絵ということです。

 弥生時代後期の越前、つまり邪馬台国がこの船を使って、遠く九州や朝鮮と交易していたのでしょう。

井の向1
井の向遺跡の位置[邪馬台国]

 これまで邪馬台国の中で、卑弥呼の墓、林藤島遺跡、足羽山を散策してきました。これらは、福井平野の中では、河川の中流域でした。今回の井の向遺跡は、比較的下流域に位置しています。

 この場所が、その当時の淡水湖の湖岸だったのか、あるいは洪水で上流から流されてきたのか、などが考えられますが、明確な答えは出せません。

 ちなみに、出土時期は、江戸幕末期の1863年だそうです。この地域では、銅鐸三基などが発掘されました。そのうちの二基は、出土した地域名をとって『大石銅鐸』と名付けられました。

井の向遺跡
弥生時代の船の唯一の絵[邪馬台国]

 『大石銅鐸』の二基はそれぞれ、

 

1.外縁付鈕流水文銅鐸 と呼ばれ、兵庫県辰馬考古資料館にて収蔵

2.菱環鈕袈裟襷文銅鐸 と呼ばれ 名古屋市個人所有

 

となっています。また、井の向遺跡のもう一基は、

 

3.外縁付鈕流水文銅鐸 で、明治大学考古学陳列館にて収蔵されています。