邪馬台国の港は三国

 卑弥呼がモデルとされる神功皇后の三韓征伐について、検証しています。倭国が「鉄」を求めて高句麗へ出兵していたのは、朝鮮側の遺跡からも証明されていますので、単なる神話として片付けられる話ではありません。

 出航地、すなわち邪馬台国の港は、高志の国・敦賀(角鹿)とされています。ここは、高句麗へ向かうには絶好の港です。奈良時代の遣渤海使では、確実に拠点だった事が古文書からも明らかです。

 しかし、『角鹿笥飯宮』(現在の気比神宮)には、確たる証拠は残っていません。

 今回は、弥生時代の敦賀からの出土品や、記紀編纂の裏事情から、邪馬台国の港町を推察します。

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敦賀の弥生時代

 まず、敦賀から見つかった弥生時代の遺跡群から、アプローチしてみます。

 敦賀は、高志の国に属しており、出土する弥生土器からも「北陸系」である事が分かっています。

 弥生時代の遺跡では、一世紀の方形周溝墓群が見つかった吉河(よしこ)遺跡や、二世紀の集落跡や土器類が出土した大町田遺跡があります。吉河遺跡では、玉造工房も発見されており、高志の国らしい遺跡ですが、石器による加工場だったようです。

また、三世紀~五世紀の舞崎遺跡では、鉄剣などの鉄器類の出土があります。

 残念ながら、鉄器類の時代は、古墳時代のもので、弥生時代末期の鉄器は全くありません。

 港町ですので、船舶関係の出土品も期待したのですが、現時点では何もありません。

また、四隅突出型墳丘墓もありません。

 このように、弥生時代の遺跡からは、敦賀を三韓征伐の出航地とみなす根拠は、全く見つかりませんでした。

 では、なぜ敦賀なのでしょうか?

三国2
記紀編纂の裏事情

 そもそも、奈良時代の日本の中心は近畿地方で、天皇の正統性を広めるために、色々な国の伝説を都合よく神話化したのが、古事記や日本書紀です。

 神功皇后の三韓征伐も、どこかの国の女王伝説を天皇家の実績として神話化して、記述したのでしょう。その「どこかの国」が邪馬台国で、その「女王」が卑弥呼ということです。

 奈良時代には、既に中国東北部の渤海国と公的な交流があり、その拠点が敦賀だったので、三韓征伐の拠点も都合よく敦賀としたのです。

 また、奈良時代よりも500年前の邪馬台国時代には、近畿地方には鉄器の伝来が無く、文明後進国でした。ですので、鉄の利権獲得の三韓征伐は、近畿地方の伝説では有り得ません。

 鉄器が普及していた先進地域・邪馬台国の伝説を基に、神話を構築したという訳です。

 では、なぜ古事記や日本書紀に「邪馬台国」が登場しないのか。

これは、以前に考察した動画がありますので、ご参照下さい。

三国3
三韓征伐の出航地の最有力候補

 三韓征伐の神話は、高志の国の話でしょう。

 高句麗との鉄の利権獲得や、新羅からの製鉄技術者を連れ帰ったり、熊襲征伐では九州勢力を支配下に置いたりと、これらの条件に合うのは高志の国以外にはありません。

 同じ日本海側の出雲も可能性としてはあります。しかし、農地面積が狭く大きな勢力とは成り得ない点や、出雲国引き伝説・ヤマタノオロチ伝説などから、古くから高志の支配下あったと見るべきでしょう。

 また、神功皇后の出航地は敦賀ではなく、「三国」という港町です。

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三韓征伐の出航地は三国

 この地図は、邪馬台国・越前・福井平野を拡大したものです。巨大淡水湖跡の沖積平野となっており、この地域に降る雨水のすべてが、九頭竜川という一本の川に集まって日本海に注ぎ出しています。

 この邪馬台国の中心部から敦賀へ行く場合、険しい峠を越えなければなりません。

それに対して、三国は、邪馬台国全域の河川から、船で日本海に移動できる場所です。平野全域から水運を利用して、一箇所に集結できる場所なのです。

 日本最古の大型準構造船の絵が描かれた銅鐸が出土した井ノ向遺跡も、三国のすぐ近くにあり、その当時は淡水湖の湖岸だった場所です。

 邪馬台国・卑弥呼をモデルにした神功皇后・三韓征伐は、高志の国・越前の伝説を基に作られた神話で、三国湊がその出航地だったのです。

 なお、海岸部でありながら、古来より三つの国を意味する名前が使われているのは、想像を掻き立てられます。中国大陸への出航地というだけでなく、対馬海流がぶつかる地域です。九州・出雲・朝鮮からの文物が集まる港だったのでしょう。

 神功皇后の三韓征伐や熊襲征伐は、天皇家の実績として誇張する目的がありました。そして、もう一点重要な目的がありました。神功皇后の息子・応神天皇についてです。応神天皇は、九州で生まれ高志の国・敦賀に帰ってきた事になっています。そして200年後に、応神天皇の傍系の五世孫が即位したという、不可解な皇位継承がありました。それを正当化する目的もあったのです。

 その継承者こそ、越前の大王・継体天皇です。

 次回は、邪馬台国・三国から高句麗へ向かう最初の寄港地・能登の福良津について、遺跡や出土品などを調査します。