卑弥呼の墓⑩ 眠っている宝物

 卑弥呼の墓を発掘した場合、どういう副葬品の出土が期待できるかを考察しています。前回は、魏志倭人伝にある魏からの下賜品から推測しました。豪華な着物類、銀の印鑑、紀年銘鏡、赤色顔料は、確実に副葬された事でしょう。

 今回は、卑弥呼の墓・丸山古墳周辺の弥生遺跡や墳丘墓から出土した宝物からの推測です。この地は、世界で最初に玉造りが始まった場所ですので、豊富な玉類の出土が期待されます。

宝10
倭人伝

 前回に引き続き、卑弥呼の墓・丸山古墳を発掘調査した場合に、どんな出土品が出てくるかを想像します。

 前回は、魏志倭人伝に記されている下賜品の中から、

・絹織物、毛織物などの着物類

・銀の印鑑

・最高級の紀年銘鏡

・中国産の赤色顔料

これらは確実に卑弥呼の棺の中から確実に発見されるであろうと、推測しました。

 今回は、卑弥呼の墓の近くに存在する弥生遺跡の出土品からの推測です。

具体的には、

・林藤島遺跡

・原目山墳墓群

および

・小羽山30号墳

からの推測です。

宝20
林藤島遺跡

 まず、林藤島遺跡です。ここは、弥生時代末期の鉄器出土数が日本一多い集落遺跡で、卑弥呼の墓からは北東方向へ1キロの距離です。

 出土した鉄器は主に玉造用の工具で、2000点を超えています。このほかにも、鉄器製作用の鍛冶場跡や、製作途中の玉類、土器類、生活用具類が出土しています。

 越前をはじめとする北陸地方は、そもそも8000年前の縄文時代に世界で最初に玉造り始まった場所ですので、1800年前の邪馬台国時代には当たり前のように玉造工房があったのでしょう。新潟県糸魚川産の翡翠硬玉を原料とした勾玉や、石川県や福井県で産出される碧玉を原料とした管玉などは、日本全国から出土していますし、邪馬台国時代の北部九州でも大量に出土しています。また、魏志倭人伝によると、壹輿の時代に魏へ朝貢した際には、翡翠勾玉と見られる「青大句珠二枚」を献上したとの記述がありますので、貴重な資源だった事は間違いありません。

 残念ながら林藤島遺跡からの翡翠の出土はありませんが、1キロ南東に位置する重立山古墳群での翡翠勾玉の出土はあります。

 卑弥呼の棺を埋葬した際には、翡翠勾玉、碧玉製管玉など宝物は、当然のように副葬されたと思われます。

宝30
原目山墳墓

 次に、原目山墳墓群です。ここも、弥生時代末期の遺跡で、東へ1キロの距離にあります。弥生墳丘墓が50基以上も見つかっている場所です。その中には、一辺が20メートルを超えるものもあり、当時としては最大級です。

 卑弥呼の墓を考える上では、このような同じ地域で、同じ時代の墳丘墓は参考になります。

ここからは、大量の鉄の長刀が出土しているのが特徴です。同じ女王国の中でも、北部九州から山陰地方にかけては、比較的丈の短い鉄剣が出土しています。弥生時代での鉄製の長い刀は、ほぼ北陸地方に集中しており、この原目山墳墓群がその中心にあります。

 また、管玉323個、ガラス玉728個という大量の玉類の出土もあります。これらの事から、卑弥呼の墓には、鉄製の長い刀や、ガラス玉という装飾品も収められていると推測します。

宝40
小羽山30号墳

 小羽山30号墳は北陸地方最大の四隅突出型墳丘墓です。一辺が40メートル近い大きさですので、全国的にみても最大規模の弥生墳丘墓です。位置的には、卑弥呼の墓からは少し離れており、10キロほど南西です。時代的には2世紀初頭なので、邪馬台国時代よりも100年ほど前の時代です。

 この墳丘墓からは、林藤島遺跡や原目山墳墓群と同じように、大量の碧玉製管玉・ガラス管玉・ガラス勾玉、そして鉄製の短剣も出土しています。

 ここの最も大きな特徴は、埋葬された遺体の周りにまかれた丹と呼ばれる赤色顔料が、中国産であるという事です。

 弥生時代の墳丘墓では、埋葬した遺体の周りに丹が撒かれているのは、珍しい事ではありませんが、ほとんどが日本国内産です。ところが、邪馬台国の100年も前に、中国産の丹がこの地に届いていたのです。

宝41
中国の丹

  丹は顔料、薬、防腐剤などに使われた硫化水銀ですが、産地は日本だけではありません。中国大陸にも存在しています。有名なところでは、陝西省旬阻県(せんせいしょうしゅんそけん)と、貴州省満山特区(きしゅうしょうまんざんとっく)です。この内、陝西省は古代中国の都・長安を含む地域で、魏の都・洛陽からも程近い場所にあります。

 実はこの地域から掘り出された「丹」が、島根県の西谷(にしだに)三号墳と、福井県の小羽山30号墳から発見されているのです。ともに四隅突出型墳丘墓と呼ばれる巨大墳丘墓で、二世紀頃のものです。しかも、成分分析の結果、どちらも同じ陝西省旬阻県産の丹である事が分かっています。

 つまり、邪馬台国が出現する100年以上前には、越前を中心とする日本海沿岸地域が中国の内陸部と交流を持っていた事の、明確な証拠になります。

宝42
論文

 卑弥呼の墓においても、この小羽山30号墳と同じように、陝西省旬阻県(せんせいしょうしゅんそけん)産の丹が、棺の中に撒かれている可能性は大いにあると考えます。

 また、前回の動画でも示しましたが、魏志倭人伝に記されている魏からのプレゼントの中には、「眞珠・鉛丹各五十斤」とあります。眞珠はまさに硫化水銀の事ですので、女王・卑弥呼は確実に中国産の丹を受け取っている事になります。卑弥呼の墓・丸山古墳から出土した祭祀用の器台には赤色顔料が塗られていますので、これの成分分析をすれば、あっさりと邪馬台国の場所が確定するかも知れません。

 なお、小羽山30号墳の丹の分析結果については、2013年に発表された「硫黄同位体分析による西日本日本海沿岸の弥生時代後期から古墳時代の墳墓における朱の産地同定の試み」という研究論文において示されています。これは、近畿大学大学院総合理工学研究科、および理化学研究所などの共同研究結果です。ご参考までに。

宝50
期待される出土品

 卑弥呼の墓に近い弥生遺跡の出土品から、卑弥呼の墓に埋葬されている可能性の高い遺物として

・翡翠勾玉、碧玉製管玉

・ガラス玉類

・鉄製の長刀

・中国産の赤色顔料

などが埋葬されているものと推測します。また、前回の動画で考察しました魏からの下賜品として・絹織物、毛織物などの着物類

・銀の印鑑

・最高級の紀年銘鏡

・中国産の赤色顔料

これらの宝物が、卑弥呼の墓・丸山古墳には眠っている事でしょう。

 但し、以前の動画で考察しました通り、とっくの昔に盗まれている可能性が高いと思います。

しかし、価値の高い宝物は盗まれても、遺体の周りに振り掛けられる赤色の朱丹が盗まれる事は無いでしょう。

 どうやら赤色顔料こそが、確実に期待できる出土品であって、その成分分析によって邪馬台国の場所を確定する重要なポイントになりそうですねぇ。

 発掘調査は夢がありますね。1800年前の、どんな宝物が眠っているのか、考えるだけでワクワクします。しかし、決して「盗掘」などという邪な考えを持ってはいけません。丸山古墳は、天皇の陵墓ではありませんが、自治体と60人を超える地権者の所有になっています。勝手に掘り返せば、犯罪です。

 次回は、近くに存在する弥生墳丘墓や、弥生時代の一般的な形式から、丸山古墳の内部構造について考察します。