原目山墳墓群

 邪馬台国・越前の松岡古墳群の中で、卑弥呼時代の墳丘墓がある原目山墳墓群の紹介です。

ここは、弥生時代末期の環濠集落跡が多く発見された地域の一角にあります。

 玉造工房 『林・藤島遺跡』 もこの環濠集落地域に含まれており、翡翠などの玉造だけでなく、鉄製工具が二千点以上、や鍛冶場跡も発見されています。

 原目山は、林・藤島遺跡から僅か1キロしか離れていません。邪馬台国に住んでいた豪族達の墓場として利用されていたようです。墳墓50基が発見されており、出土品の中には多数の鉄剣や装飾品が含まれています。

 卑弥呼が実際に身に着けていたものでしょう。

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原目山墳墓群の位置。[邪馬台国]

 この地図は、邪馬台国があった越前・福井平野です。これまで、卑弥呼の墓、林藤島遺跡、井の向遺跡、三国、松岡古墳群などを紹介しました。

 今回は、松岡古墳群の中の『原目山』と呼ばれる地域で、弥生時代末期の墓が多数発見されている場所です。周辺には、環濠集落跡なども数多く見つかっていますので、邪馬台国の豪族の墓とみられます。

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原目山墳墓群の配置。[邪馬台国]

 これは、原目山墳墓の配置図です。1号墓から5号墓に区分されていますが、最も大きいのは1号墓です。

大きさは縦20m、横20m、高さ4mです。この墳丘墓からは、ガラス玉728点 、木棺内から鉄刀や碧玉(へきぎょく)製の管玉323点などが出土しています。副葬品の豊富さから、邪馬台国の強力な豪族の墓だったとみられます。

 今回は、この1号墓がある地点までを散策しました。


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原目山墳墓の副葬品。[邪馬台国]

 観光地化されていない古墳群は、整備されていないので、こんなものです。

墳墓の入口に入った途端に、獣道となり混沌とした密林地帯となっていました。

この原目山は、住宅地に近い割に「熊」の出現が多いと聞いていたので、恐怖心との戦いでした。

墳墓の場所探しなど、すっかり忘れて、逃げるように下山してしまいました。

 

 弥生時代の山道も、このような獣道だったかと思うと、弥生人たちの苦労が目に浮かびます。

魏志倭人伝の『陸行一月』が、いかに大変かを身をもって理解した散策でした。