当時の関東地方は?

 言わずと知れた関東ローム層の土質です。

黒ボク土とは異なり、有機成分が少なく鉄分の多い土です。粘土質なので水はけは悪いのですが、この土だけでは稲が育つのは困難です。

富士山噴火後に、山々からの堆積物で関東平野が広がりましたが、農業には不向きで、雑草地 → 雑木林 へと変化しました。武蔵野の森と呼ばれるこの雑木林は、現代でも多摩丘陵地などで見られます。弥生時代には、まだまだ水田稲作が出来る状態ではありませんでした。

したがって、関東地方は邪馬台国出現の条件を満たしておりません。

 ちなみに、縄文時代までは西日本よりも人口が多かったという説があります。雑木林の木の実の宝庫で、森に住む野生動物や東京湾の海産物も豊かだったためです。人口が多かったといっても、関東平野全体で五千人未満だったようですが・・・。

 

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