渡来人の港 高麗津

 高志の国は現在の北陸地方で、中心地は越前でした。弥生時代の大規模拠点集落としては、八日市地方遺跡があります。所在地は石川県小松市(加賀国)ですが、古代には越前だった場所です。

 この集落遺跡は、北陸地方では最大規模で、多数の出土品が重要文化財として指定されています。

今回は、ここから発見された各種の個性的な出土品を調べて行きます。すると、「小松」は「高麗津」が由来と思えてきます。

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八日市地方遺跡

 この地図は、北陸地方の拡大図です。

 石川県小松市は、江戸時代の百万石で有名な加賀の国に属します。県庁の金沢市から南西へ約30キロの地点です。 

石川県を構成する加賀の国と能登の国は、飛鳥時代までは越前の国に含まれていましたので、文化的には邪馬台国と言える場所です。

 この地は、白山連峰から流れる一級河川の手取川で形成された扇状地が広がっていて、金沢市と小松市を分けるように分布しています。八日市地方遺跡がある小松市は、このような扇状地の南端に位置しています。

さらにその南側は、弥生時代には、湖が広がっていました。東側の山々と、日本海沿いの砂礫層に挟まれおり、湖沼が形成される条件になっています。

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小松は港町

 これは、小松市周辺を拡大した地図です。

古代にはこの地域は湖で、現在でも、木場潟、柴山潟という湖沼が残っています。また50年前までは、今江潟という湖もありました。弥生時代には、この全域が水に覆われていた事を如実に物語っています。

 この湖の湖畔だった場所に、八日市地方遺跡という北陸地方屈指の集落遺跡があります。現在でこそ海岸線から3キロほど内陸にありますが、当時は日本海と繋がった「湾」のような地形でしたので、港町だったのでしょう。

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標式土器

 八日市地方遺跡は、JR小松駅の東側に位置しています。発掘の歴史は古く、昭和5年に2個の磨製石斧の出土により発見されたのが最初です。現在も、北陸新幹線延伸の大規模工事に伴い、様々な出土品が新たに見つかっている注目すべき遺跡です。時代としては、弥生時代中期です。

 集落からは、掘立柱建物、平地式建物、方形周溝墓、多重の環濠などが発見されています。残念ながら水田遺構は見つかっていませんが、鋤や鍬などの稲作用の農耕具が見つかっていますので、水田稲作も行われていたのでしょう。

また、この地から出土した土器は、小松式と呼ばれ、北陸地方の標式土器とされています。

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大量の出土品

 出土品の数量は、膨大です。土器類でコンテナバット4,300箱分、木製品類は35,000点、石器類ではコンテナバット300箱分、そして、鉄製品や銅鏃、骨製品も見つかっています。

 土器では、小松式土器に加えて、東海地方や信州地方、さらには近江や瀬戸内地方などからの搬入品が見つかっています。文化の流れから言うと、搬入品というよりも、北陸地方を中心として周辺の各地へ文化が広がって行ったと見るのが正しいでしょう。広範な地域への影響力があった事が窺われます。

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重要文化財

 出土品の中で特筆すべきは、二点あります。

一つは、玉造用の工具です。

「柄付き鉄製鉇(やりがんな)」という木製品の加工道具も発見され、玉造りにも利用されていたと見られます。これは次回の動画で詳細を述べる事にします。

 もう一つは、多彩な木製品や土製品の出土です。

木製品では、稲作用に使う鍬や鋤、柄杓のような匙、収穫物を運ぶ容器類など、個性的な出土品があります。また、それらの製作工程を如実に示す鉄製工具も見つかっています。

 祭祀用に使ったとみられる木製品も多彩です。鳥形・魚形・武器形などです。

 一方、土製品にも特徴があります。実用的な器形の土器はもちろんのこと、人形・鳥形・分銅形・銅鐸形など、木製品と同じように祭祀に用いられたと見られる土器の出土も豊富です。その中には、人の顔が描かれた人面付土器もあります。

 これらの出土品のうち、1000点以上が重要文化財に指定されています。

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中規模集落

 このように大量の弥生時代の遺物が出土した八日市地方遺跡ですが、北陸地方の中心地だったわけではなさそうです。それは、農耕地の問題です。北側は手取川による扇状地ですので天然の水田適地ではありません。また、南側は湖でしたので、湖畔には水田適地はあったものの大規模な農業を行えるほどの規模ではありません。

 人口扶養力という点からみると、1000人~2000人程度の中規模の集落だったと見られます。

 ちなみに弥生時代の拠点集落の面積では、日本一の奈良県・纏向遺跡、第二位の鳥取県・妻木晩田遺跡、第三位の吉野ケ里遺跡、がありますが、いずれも丘陵地で水田適地が無い場所です。面積の割には、人口扶養力の小さな集落です。

  この視点から察するに、天然の水田適地の多い北陸地方には、八日市地方遺跡のような中規模の拠点集落が、まだまだ沢山眠っているのでしょう。

 石川県小松市の名称には、俗説があります。「コマツ」とは古代に於いては、高麗の津を意味していたというものです。リマン海流に乗った高句麗人たちが、対馬海流のぶつかる越前海岸に来航していたのは、日本書紀にも記されています。また、飛鳥時代の遺跡ではありますが、小松市には朝鮮半島由来の「オンドル遺構」が多数発見されています。

 八日市地方遺跡の個性的な出土品の数々を見ると、小松の由来は俗説ではなく、本当に「高麗津」かも?

次回は、この遺跡の玉造りに焦点を当てます。