三国・古代の要衝

 邪馬台国・越前が超大国になったのは、治水工事の成功でした。巨大淡水湖の海への出口拡張工事を行い、広大な沖積平野を作り出したからです。この工事を行った場所が『三国』です。現在は、九頭竜川という大河の河口になっており、交易の港として発展しています。

 また、海岸でありながら古来より『三国』と呼ばれているのは不思議です。全国に数多くある『三国』と名の付く地域は、内陸の国境の地ばかりです。この越前・三国は、対馬海流がぶつかる場所でもあるので、九州や中国・朝鮮など『三つの国』から来た人々が集まった場所ではないか? と想像を掻き立てられます。

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三国の場所[邪馬台国]

 この地図は、邪馬台国・越前・福井平野です。JR福井駅と卑弥呼の墓、林藤島遺跡の位置を示してあります。

 『三国』は、この平野の北の端に位置しています。縄文海進時にできた砂礫層で塞がれた巨大淡水湖の、水の出口になっています。弥生時代後期の邪馬台国時代に、この出口を広げて水抜きを行い、淡水湖を巨大な沖積平野へと変貌させました。現在は、福井平野やその上流山岳部の雨水が、九頭竜川という大きな河に集まり、ここの一ヶ所だけを出口として、日本海に注ぎ出しています。

 なお、この砂礫層は『三里浜』と呼ばれる丘陵地で、20m~30mの標高があります。この事から、弥生時代前期まで存在していた淡水湖は、越前・福井平野全域の広大な範囲に及んでいたとみられます。

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三国の砂礫層:奥が日本海、手前が九頭竜川。[邪馬台国]

 三国には、翡翠などの玉造工房・下屋敷遺跡があります。

林・藤島遺跡よりも古い1世紀頃の工房です。

 邪馬台国の創成期には、治水工事の拠点だった三国こそが、中心地だったのかも知れません。

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下屋敷遺跡 [邪馬台国]

 この三国の地は、邪馬台国の卑弥呼時代だけでなく、男大迹王(継体天皇)の時代にも脚光が当たります。日本書紀によると、近畿より皇位継承の迎えに来た大伴金村が、この地で男大迹王に面会した事になっています。その時期の三国国造は、蘇我氏一族の若長足尼で、飛鳥時代に栄華を極めた蘇我氏の実質的な祖先に当たります。

 今回の映像の終盤で紹介した出世山古墳群は、蘇我氏一族の古墳と見られます。『出世山』という名前自体が、蘇我氏の近畿での活躍を物語っているように思えます。