小羽山30号墳

 邪馬台国が出現する前の二世紀頃、越前の地に大きな墳丘墓がありました。鉄の産地・中国東北部に起源を持つ『四隅突出型墳丘墓』です。

  福井市の風巻神山古墳群という場所にあります。この古墳群は、弥生時代後期から平安時代までの広い範囲の古墳や遺跡が点在している場所です。

 この中にある「小羽山30号墳」が四隅突出型墳丘墓です。

今回は、この墳丘墓を訪ねて現地取材した様子です。

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小羽山墳墓群の位置

 小羽山30号墳は、風巻神山古墳群の中の一つで、越前・福井平野の中西部に位置しています。現在は、福井市清水町という小集落ですが、様々な古墳や遺跡が見つかっていますので、古代においては中心的な存在だったようです。

 この場所は、日野川水系に属しており、上流には弥生時代中期の墳墓群が多くあり、時代を下ってこの地に中心が移って来たのでしょう。

 なお、弥生時代中期の墳墓群は、鯖江市の「王山古墳群」などです。以前の動画で散策していますので、ご参照下さい。 

まず、現地の博物館を見学しました。清水郷土資料館です。

30号墓は長方形で26×22メートル、高さが2.7メートルあります。高志の国では最大の四隅突出型墳丘墓です。

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王族の移動

 越前・福井平野の弥生時代における中心地の移動を整理します。

まず弥生時代中期に、日野川水系の鯖江市周辺に王族が出現します。弥生時代後期になると、耕作地の下流域への広がりと共に、小羽山30号墳周辺地域へと中心地が移動します。この時代に高句麗からの鉄器伝来と、四隅突出型墳丘墓の造成がありました。

 そして、邪馬台国時代の三世紀~四世紀には、卑弥呼の墓がある林・藤島遺跡周辺へと中心地が移って行きました。

 さらに、古墳時代の五世紀頃には、継体天皇の本拠地があった高椋へと中心地が移動しました。

 小羽山30号墳からは、3.3mの箱型木棺が安置され、遺骨と共に、鉄剣と多数の首飾りの玉が出土しています。一世紀~二世紀頃に、高句麗から鉄器を携えてやって来た豪族らしい墓です。

 この古墳群へは、JR福井駅から「京福バス朝日西田中線」に乗車して、「清水中学校前」停留所で下車します。乗車時間は約30分。停留所の目の前が「清水郷土資料館」。そこから徒歩10分で、小羽山30号墳に到着します。