神秘の宝石

 邪馬台国・高志の国は、大規模農業、鉄器の活用、および航海術で他国を圧倒していました。そして、もう一つ忘れてはならないのは、古代日本の最も重要な交易品の産地だった事です。日本が誇る神秘の宝石 『翡翠』です。この鉱脈が、高志の国・越後に眠っていたのです。

 歴史から消された邪馬台国と同じように、翡翠の歴史も神秘に包まれています。「眠っていた」という表現が的を得ている謎に満ちた宝石です。

 今回は、翡翠の基礎的な知識の整理と、鉱脈の分布地域などについて紹介します。

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翡翠の基礎

 翡翠は、緑色の半透明な宝石です。古代から、中国などで人気が高い宝石で、金以上に珍重されたとされています。宝物を意味する玉(ぎょく)という言葉は、翡翠を指していたと言われています。

 鉱物学的には、化学組成の違いから大きく二つに分けられます。硬玉(こうぎょく)と軟石(なんぎょく)です。両者は全く別物ですが、見た目では区別がつきにくいことから、どちらも「翡翠」と呼んでいます。

 ただし、現代で高価な宝石とみなされるのは硬玉だけです。中国で安く売られている翡翠は軟玉ですので、購入する場合は注意が必要です。

 翡翠の硬玉の鉱脈は、アジア地域においては、ミャンマーと日本にしかありません。また、日本にある鉱脈の99%は、高志の国です。具体的には、新潟県糸魚川市の姫川流域です。

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翡翠鉱脈の具体的な地域

 この地図は、姫川流域を拡大したものです。

この地域は、フォッサマグナが走っており、地中から珍しい鉱物や化石が発見される場所です。

翡翠の鉱脈は、姫川の支流の小滝川を中心とする一帯です。現地は、「ひすい峡」と呼ばれており、岩石の表面が所々緑色になっています。ただし、ここでのヒスイ採取は禁止されています。翡翠の硬玉は、国の天然記念物に指定されているからです。

 なお、小滝川ヒスイ峡から流れ出たヒスイは、姫川を下り新潟県糸魚川市の海岸や、富山県の宮崎・境海岸に打ち上げられます。

 この一帯はヒスイ海岸と呼ばれています。この海岸に転がっている翡翠は拾ってもよく、ごく稀に100万円を超える翡翠原石が発見される事もあるそうです。

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翡翠の歴史

 この地域での翡翠の採掘は、今から5000年前の縄文時代からとされています。糸魚川市で、その時代の翡翠の加工工房が発見されたからです。これは、現在判明している翡翠加工場では、世界で最も古いものです。また、世界最古の翡翠大珠(ひすいたいしゅ)が山梨県で見つかっています。縄文・弥生・古墳時代と通して、高志の国を中心として翡翠加工が行われ、祭祀や呪術(じゅじゅつ)に用いられたり、装身具や勾玉などの装飾用として、非常に珍重されていました。

 ところが、奈良時代に入ると一切見向きもされなくなり、日本に翡翠の鉱脈がある事自体、人々の記憶から失われました。

 まさに、邪馬台国が歴史から消し去られ、人々の記憶から失われたのと同じ軌跡を辿っています。

 今回は、翡翠の基本的な事項を整理しました。日本が世界に誇れる貴重な宝石の鉱脈が、高志の国・越後に眠っていました。邪馬台国時代には、これを大いに活用して、国力を伸ばした事でしょう。

越前の大規模農業、能登の航海術、そして越後の翡翠、という弥生時代に超大国となる条件は、他の地域を圧倒しています。

 そして、邪馬台国が人々の記憶から消し去られたように、翡翠の鉱脈も人々の記憶から消し去られました。この因果関係についても、いずれ考察します。

 次回は、日本における翡翠加工の所在地と、加工された翡翠の出土場所などについて調査します。