出雲を造ったのは越

 出雲国風土記には、古志(高志・越:北陸地方)の記述が随所に見られます。それほど、出雲と古志の関係は深かったのでしょう。

 まず、出雲国風土記の冒頭に、『国引き神話』があります。

これは、八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)という神が、出雲を小さく作ってしまったと後悔し、遠くの四つの国々の余った土地を引っ張ってきて、つなぎ合わせたという神話です。

 あくまでも神話ですので、土地を引っ張って来るのは不可能ですが、四つの国々から人材を集めて国造りを行った事を示唆しているものと思われます。それらの国の一つが、古志(高志・越)の国です。

国引き1
国引き神話の四つの国

 この神様が引っ張ってきた土地とは、「志羅紀」「北門佐岐」(きたどのさき)「北門農波」(きたどのぬなみ)「古志」という四つの国の余った土地です。

 この中で、「志羅紀」は朝鮮半島南部の新羅、「古志」は北陸地方を意味する「高志」であると、容易に推測されます。

「北門佐岐」(きたどのさき)「北門農波」(きたどのぬなみ)については、諸説ありますが、出雲に鉄器をもたらした朝鮮北東部の国々だったのではないでしょうか?

 西暦一世紀から四世紀の間、朝鮮半島南部では、百済と新羅の間で戦いがあり、新羅のボートピープルが発生しています。また、北部では、高句麗の朝鮮半島南下政策により、朝鮮北東部のボートピープルが発生した時代です。彼らは、リマン海流と対馬海流に流されて、出雲にたどり着いたのでしょう。

 一方、高志の国は、当時の日本の、最大の農耕地があり、翡翠という高級宝石の加工地でもあったので、余力があったはずです。国土拡大の為に、出雲に進出して行ったのではないでしょうか?

 これらの四つの国々の人材によって、出雲の国が造られた事を『国引き神話』は物語っています。

国引き2
四つの国の内、三つは朝鮮半島から。高志(越)のみが日本国内

 ちなみに、古志の余った土地とは都都乃三埼(つつのみさき)と記されています。これは、能登半島の事だろうと推察されます。能登半島は、古志の中では農耕地が最も少なく、失礼ながら窓際族のような場所です。まさに古志の余った土地に住んでいた住民を、国土拡大の為に出雲に移住させたのでしょう。

 なお、古志の余った土地は、美保郷(現在の松江市美保関町)という場所にくっ付けられたと記されています。この地域に、能登半島の人々が移り住んで来たという事です。

国引き3
越の能登から出雲へ移住。移住地は美保郷

 出雲国風土記の古志に関する記述はこれだけではありません。その中の一つに、治水工事に関する古志との関係があります。

【古志郷 伝承】

 現在の出雲市に、古志町という地名があります。ここは、近世までは「古志郷」と呼ばれていた地域で、出雲市の大部分を占めていました。

その地名の通り、大昔に古志の国の人達がやって来て堤を築いた、という伝承が残っています。この治水工事が終わった後もそこに留まり、居住するようになったので、古志郷という名の地名となりました。

【狹結驛(さゆふのうまや) 伝承】

 また現在の、出雲市下古志地域で、狭結郷(さゆふごう)と呼ばれていた地域があります。ここは、古志の国の佐與布(さよふ)という人がやって来て住み着いた土地です。古志の佐與布(さよふ)とその一族の人達が、日淵川(ひふちがわ)に堤を築いて堰き止め、池を造って住み着いた、という具体的な伝承が残っています。

出雲01
出雲国風土記に詳細に記載された越(古志)との関係。

 これらのように、出雲の国は、古志(高志・越)の国の先進的な治水技術で開拓された国のようです。出雲平野が小さいながらも、淡水湖跡の水田稲作に適した土地である事は、以前にも述べた通りです。また、越の国、越前・福井平野が、日本一の巨大淡水湖跡で、これを水田地帯に干拓して巨大国家となったのも事実です。越(高志・古志)の国は、この治水技術を、出雲の地でもふんだんに発揮して、出雲の国を造り上げたのです。

 出雲の国は、いわば、高志(越)の国を大企業と例えれば、その子会社とも言える国なのです。高志の国にとっては、朝鮮からの鉄の輸入や、九州からの物品輸送の中継地として、出雲は重要な役割を担う拠点でした。

出雲02
出雲は越の子会社

 なお、これらの地域以外にも、

・松江市古志町

・松江市古志原

という、高志(越)にちなんだ地名が、出雲には多数残されています。

出雲03
越(古志)ゆかりの地は、出雲に多い。

 出雲国風土記は、記紀と同じ八世紀初頭の書物です。邪馬台国の卑弥呼の時代からは、500年も後に書かれたものです。これを邪馬台国・越前説に当てはめる事は、いささか早計です。しかしながら、これらの伝承は、イザナミノミコトという記紀の国生み神話時代の事としていますので、相当古い時代から出雲地方と「古志国(越国)」との間に、多くの交流があったのは間違いありません。

 

 この出雲神話や伝承をもって、越前が邪馬台国だったと断言するつもりは、毛頭ありません。但し、多くの神話が残る出雲の国が、越前をはじめとする高志の国によって造られた事は、容易に想像できます。