金冠・銀冠

 古代日本と中国大陸との交流を、奈良時代に始まった遣渤海使から遡って探ります。これまで、日本海航路の確立や、飛鳥時代からの中国東北部の渡来人達の流入について調べました。今回は、更に時代を遡り、古墳時代の中期から後期です。

 この時代は、高志の大王・継体天皇が近畿地方を征服した時代です。中国大陸や朝鮮半島から、最新の技術が、九州を介さずにダイレクトに高志の国に流入し、一大文明圏となりました。必然的に、近畿地方との文明格差が大きく広がり、高志が近畿を征服したのは自然な流れだったのでしょう。

 時代の名称は、近畿地方を中心に考えて『古墳時代』と呼ばれていますが、当時の文明レベルでは高志の国が圧倒していましたので、『高志時代』と呼ぶ方が正しいかも知れません。

 今回は、中国大陸製の金冠・銀冠の出土を通して、高志の王国が近畿地方を征服した流れを追います。

金冠1
金冠・銀冠が出土した時期[邪馬台国]

 この年表は、弥生時代後期から奈良時代までの中国大陸との交流を示しています。

 前回までに、奈良時代の遣渤海使を飛鳥時代まで遡り、中国東北部から高志の国への渡来人達の流れや文化を調査しました。

 今回は、さらに遡り古墳時代中期以降の、高志の国と中国大陸との交流です。この時代は、高志の大王・継体天皇が、近畿地方を征服した時代です。高志の勢力がピークを迎えた時代とも言えます。

 中国大陸からの大量の最先端文明が、高志の国から後進国・近畿に流れ込みました。以前に作成した動画、「なぜ越前だったのか(14)~(21)」にて、当時の様子を紹介していますので、ご参照下さい。

 今回は、高志の大王・継体天皇時代に焦点を当て、王族の象徴である金の冠や銀の冠の出土地と、高志の国から近畿地方への王族の流れを追って行きます。

金冠1-1
金の冠、復元品[邪馬台国]

  冠は、飛鳥時代の六世紀頃に近畿地方の王族達の間で流行しました。それよりも200年前、日本最古の金の冠、銀の冠が、高志の国・越前で発見されています。

 当時の日本では、まだ金の採掘が行われていませんでした。また、冠は金メッキ、銀メッキがされたもので、その技術も日本にはありませんでした。

 そのような時代に王冠が存在していたのは、明らかに中国大陸と高志の国との間に、強固な結び付きがあったからに他なりません。

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金冠・銀冠の出土地の移動[邪馬台国]

 最古の金の冠、銀の冠が出土したのは、高志の国・越前の二本松山古墳です。時代は、四世紀末頃で、古墳時代中期に当たります。日本海航路を通して中国大陸から入って来たものです。

 この二本松山古墳は、以前にも紹介しました「松岡古墳群」の中にあります。二世紀から六世紀までの墳丘墓や古墳が密集している場所です。また、「卑弥呼の墓」や「林・藤島遺跡」から2キロほどの場所にあります。

  高志の国の歴史からすると、女王・卑弥呼と、大王・継体天皇の中間の時期に当たります。卑弥呼から継体天皇に連なる邪馬台国の王族の系譜を知る上でも、貴重な出土品です。

 

 金の冠、銀の冠は、継体天皇が高志の国から近畿地方を征服する流れに従って、出土する地域が移動しています。

 越前では、四世紀末に出土しましたが、継体天皇が近畿侵略を開始した五世紀末頃には、近江の国・高嶋の鴨稲荷山古墳で、同じような金と銀の冠が出土しています。この地は、高志の国が近畿征服の拠点とした地域です。さらに、継体天皇が近畿征服した後の六世紀中ごろには、奈良県斑鳩の藤ノ木古墳

で、金メッキの王冠が出土しています。この地は、言うまでもなく継体天皇の曾孫の聖徳太子ゆかりの地です。

 この金と銀の冠は、王族が高志の国から近畿地方へ移動した明確な事例です。

金冠3
高志から近畿へ流入した先進文明の品々[邪馬台国]

 今回紹介した金の冠・銀の冠は、高志の国が古代において文化の中心地だったという、一つの例に過ぎません。

 継体天皇が近畿地方を征服した事によって、このほかにも、高志の国から大量の中国大陸の文物が、近畿地方に流入しました。

 それらの大陸文化を列挙します。

専門家集団として、

 鉄器・鍛冶・製鉄職人、文字・紙・製紙職人

 治水職人、馬飼い職人、漆職人、建築職人、造船・航海職人

国家体制の基礎となる

・五経博士

などです。

 継体天皇が近畿を征服した後、超大国だった高志の国は一気に輝きを失い、日本の歴史の表舞台から姿を消します。まさに忘れ去られた邪馬台国です。

 冬の気候の悪い北陸・高志の国から、気候の良い畿内へ流れ出したのは、文化だけではありませんでした。人材の流出も夥しかったようです。渡来系豪族の蘇我氏・秦氏や、海洋民族・能登の安曇氏なども、近畿へ移動してしまいました。

 あたかも、田舎で成功した最先端企業が、本社機能を東京に移してしまったかの様です。

 次回は、継体天皇の近畿征服で移動した豪族の一つ、能登・安曇氏について考察します。高志の国を超大国へ押し上げた要因の一つである海洋民族・安曇氏の近畿での活躍と、九州への新たな航海ルートの確立について、検証します。