魏志倭人伝には、次の記載があります。
『卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人。』
【訳】 卑弥呼の死をもって、塚を大きく作り、直径は百余歩、一緒に埋葬した奴婢は百余人。
当てにはならない魏志倭人伝ですが、他に参考資料が皆無なので、引用しました。墓の大きさを推測すると、直径100メートルから150メートルくらいの円墳でしょう。さて、どこにあるのか?
・・・ありました。福井県福井市の『丸山』です。
べったりした平野にポツンと、小山があります。その名の通り、丸い山です。直径は縦150メートル、横100メートルの楕円形です。
この場所は、林・藤島遺跡(邪馬台国時代の鉄工具による玉造工場)から南西へ1キロ、原目山墳墓群(邪馬台国時代の鉄剣、宝物類出土)から西へ1キロの地点にあります。また、すぐ近くには丸山釜山遺跡や新保遺跡などの、当時の環濠集落跡も発見されています。
現在は、頂上に上水道の配水池が作られています。昭和29年の池を造る際に、古墳が発見されましたが、目ぼしい出土品はありませんでした。これは、ある意味ラッキーです。古墳は、その時代から数百年前の弥生時代に造られた墳墓の上に、盛土して造成されるケースが多く、古墳の下に墳墓が存在する可能性が大きいのです。
運が良ければ、卑弥呼の墓がこの『丸山』の地中にそっくりそのまま残っているかもしれません。
今後の発掘調査に期待します。