第15代天皇である応神天皇は、神功皇后(臺與)の息子であり、第26代天皇である継体天皇の5代前の祖父に当たります。この応神天皇も、邪馬台国(越前)に居たことを裏付ける記述があります。
古事記によれば応神天皇の御代(270~312年)に百済から韓鍛冶(からかぬち)卓素が来朝したとあり、鉄加工の渡来人たちを招聘したことになっています。この時代、近畿地方は鉄文化の後進国であり、鉄加工品の出土はほとんどありません。それに対して邪馬台国(越前)は、三世紀から五世紀において、日本最大の鉄加工品の産地になっています。
卑弥呼 → 臺與(神功皇后) → 応神天皇(神功皇后の息子) と捉えれば筋が通ります。
また、第26代継体天皇の出現に至るまでの天皇の記述もまた、鉄加工品の見地から越前王族の系譜と見ると筋が通ることが多々あります。例えば、埼玉県の稲荷山古墳で出土した鉄剣です。これには、第21代雄略天皇の部下への寄贈品である旨の記述が彫られていました。近畿でさえ鉄剣の出土の無い時代に、遠く離れた埼玉県で鉄剣が出土し、しかも天皇の記述があるとは?
これは、邪馬台国(越前)が遠く関東の地まで勢力を拡げていた証拠です。
いずれにしても、鉄に関する記紀の記述は、越前の邪馬台国に合致し、応神天皇についても越前の王族系譜を基に書かれたものです。
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