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コメント: 51
  • #51

    八俣遠呂智 (日曜日, 19 5月 2019 20:32)

    名無し 様

    おっしゃる通りです。横手盆地も魅力ある沖積平野ですね。新潟平野のような「潟」だらけの平地よりも、農業生産は高かったと思います。
    高志(越)の国は、福井県以北の青森あたりまで含んでいたという説もありますね。
    水田稲作の伝来も、東北の日本海側は早かったようですし。

  • #50

    八俣遠呂智 (日曜日, 19 5月 2019 20:25)

    口金屋小紅 様

    いやはや、言葉を失います。
    越(こし)と呉(くれ)の地名の起源から学習されるとよいでしょう。
    こういう事を自信満々で書き込むとは・・・恐れ入ります(笑)。

  • #49

    名無し (日曜日, 19 5月 2019 20:20)

    秋田県の横手盆地は紀元前1世紀に淡水湖の水が干上がってますから、水田稲作には最適地の1つだったと思うのですが傾斜率が高かったんでしょうか?ヤマトタケルが九州から東北を統一したという伝説が残ってますから、邪馬台国(越前)が同じ日本海側の出羽国を植民地化したとしても不思議ではありません。

  • #48

    口金屋小紅 (日曜日, 19 5月 2019 15:48)

    残念です、、、、良いとこ行ってるけど間違い!記紀を読んでいませんね。根の堅洲国に追いやられた出雲族、倭朝廷の臣下です。八岐大蛇は蛇を崇拝する呉か越の一族でしょう。呉越同舟とは戦乱を逃れた呉と越の国の人が同じ船に乗り蓬莱(倭)に逃げることを指した四字熟語です。越前に関しては応神記の「都怒我阿羅斯等」を読めば判ると思います。ツヌガアラシト・・・ツルガ・・・敦賀。広島には呉があります。呉の人は瀬戸内海を越の人は日本海を東進したのでしょう。一度は記紀を読んで投稿しましょうね!

  • #47

    八俣遠呂智 (水曜日, 15 5月 2019 21:15)

    名無し 様

     九州説の定番ですね。私は元々、九州説(甘木朝倉)を支持していましたので、よく分かります。これに疑問を持ったのは、様々な理由がありますので、いずれ動画で説明するつもりです。
     世界四大文明は、畑作地帯です。この四地域に共通しているのは、連作障害の無い、特別な環境だった事です。
     水田稲作の米の優位性は、農業の専門書にてお願いします。

     筑紫平野が弥生時代から拓けていれば、間違いなく邪馬台国はそこにあり、現代でも日本の中心だと思います。

  • #46

    名無し (水曜日, 15 5月 2019 20:11)

    筑紫平野の面積は1200平方キロあります。鉄製農具が流入したのは2500年前ですから、700年かけて密林を全て伐採すれば、越前湖跡地の8.5倍の広大な畑作地帯が出現します。水田が無ければ大国出現は絶対不可能なんでしょうか?

  • #45

    八俣遠呂智 (火曜日, 14 5月 2019 05:48)

    evanjoyce 様
     但馬の客家語読みです。

  • #44

    evanjoyce (火曜日, 14 5月 2019 05:14)

    >>>>丹後・丹波・但馬の3地域が、飛鳥時代以前はまとめて『タンマ』と呼ばれていたそうですが、古代の地名の発音がどうやって分かるんですか?原始的なアイヌ語の発音でしょうか?

  • #43

    八俣遠呂智 (月曜日, 13 5月 2019 07:33)

    名無し 様

    中国の「越」の発音は「エツ」です。古代中国語でもそれに近い発音だったと思われます。
    一方、日本の越は「こし」です。これは、古事記、日本書紀、万葉集に書かれた北陸地方を指す「高志」、および出雲国風土記に書かれた「古志」が語源です。
     治水工事は、北陸地方(特に福井平野)が進んでいました。それは、縄文海進後に淡水湖となり、水引が早かったからです。一方、出雲平野は汽水湖となり、水引に時間が掛かりました。
     対馬海流に沿って、九州→出雲→古志と考えるのも無理はありませんが、私の動画を全てご覧いただければ、ご理解頂けると思います。

  • #42

    八俣遠呂智 (月曜日, 13 5月 2019 07:29)

    名無し 様

    都城盆地は広いですね。土も黒ボク土なので、畑作には最高の土地です。但し、火山灰が何度も降り積もった痕跡があり、古代での農業は安定しなかったと思われます。

  • #41

    名無し (月曜日, 13 5月 2019 07:06)

    都城盆地は豊岡盆地の9倍以上の面積が有ります。畑作であった事を考慮しても都城盆地の農業生産高は豊岡盆地の6倍くらいあったと思われます。

  • #40

    名無し (月曜日, 13 5月 2019 06:56)

    出雲国風土記に書かれてる古志とは中国南部にあった越という国じゃないんですか?なぜ弥生時代に出雲より先に越前で治水技術が普及始したと言えるんですか?

  • #39

    八俣遠呂智 (金曜日, 10 5月 2019 11:59)

    磯部達 様
     おっしゃる通りです。
    そんな当たり前な事より、古代中国語は何語だったかに、私は興味があります。今のところ、客家語説を支持しています。客家人は、世界に散らばった華僑の元祖でもありますし、「アジアのユダヤ人」と呼ばれていて、とても興味深いです。

  • #38

    磯部達 (金曜日, 10 5月 2019 08:00)

    魏に朝貢した和人卑弥呼達が漢字の読み書き出来ないはずは有りませんよ
    因って記紀編纂時には漢字は自由自在だったのでは勿論発音では秦王朝の
    発音、魏王朝の発音も出なければ朝貢も又できなかった筈ですね。

  • #37

    八俣遠呂智 (月曜日, 06 5月 2019 07:37)

    isamu adachi 様

     古代の大国の出現メカニズムと、水田稲作の基本的な知識から学習されるとよいでしょう。
     確かに、日本での水田稲作は山間部から始まりました。山で細々と農業をやって、大国が出現するとお考えですか?

  • #36

    isamu adachi (月曜日, 06 5月 2019 07:27)

    邪馬台国」が福井でも機内でも九州でも、何処でもいいんです。論拠の最大の弱点は。稲作は平地で無いと成立しないと考えてる点です。稲作の初めは、山間部の小川から水を引いて、谷間に平地を造て「棚田」から始まったとは考えられませんか。平地に水路を引くより、ず~と簡単に水を確保できるとおもいますが。山のほうが「動植物」の多様性もあり食料確保も容易かったと考えますが。平地の面積だけで文化を論じるのは無意味です。

  • #35

    中村敬 (日曜日, 05 5月 2019 17:37)

    これこそ邪馬台国は豊の国越からの渡来人、藤原氏一族(このときは賀茂一族といったほうがいい)は呉国からの渡来人で筑後にいたのだ。天武天皇に与して持統天皇の時代に奈良葛城に移っていった。

  • #34

    森岩光 (土曜日, 04 5月 2019 06:59)

    「魏史倭人伝」に言うヤマト国は九州の大分~宮崎にまたがる地域に有った
    豊(宇佐王国)・都万連合王国の事だと伝承されています。
    いわゆる、女王 卑弥呼は豊国宇佐王国と都万王国の「日女命」(特別な巫女を意味する)で有った宇佐族の豊玉媛命。
    先ず、国巫女で女王(神託政治と現実政治の両方を掌握)の豊玉媛命が魏帝国に遣魏使団を送った理由が、
    キキ神話に言う「神武の東征」の準備で九州の豊・都万連合王国の後ろ楯と権威を得る為。
    =魏帝国の属国となった。
    「親魏委王」の称号とその金印。魏鏡、更に八流の魏幡(錦の御幡)、、、宇佐の宮廷に魏の八つの御幡が翻った。=後に八幡宮/神と言われる端緒になった。、、、「親魏委王」の「委」が倭の誤字ではないか?と言われていますが、古代の豊国の領域(豊国(宇佐族の国)を分割したのが「豊前、豊後」)は「イゴ国」と呼ばれていたらしいのでイゴ国の「イ」を「委」とたならば間違いではないかと思います。
    、、、中華の国では大・中華思想の下、周辺の国地域や名称、人名には卑下した文字や動物の文字を充てると共に省略化して表記する事が普通だった。(これ重要です)
    日本~の遣使たちも同様で、列記された方々の和名とは違う(卑下した文字。かつ略字化された表記)表記 魏の使節が豊玉媛命の下に赴き魏の皇帝からの任命勅書や下賜物等を伝達する際、ここ(実際には豊国と都万国の領域)がまさしくヤマト国であり、都で妾こそが倭国を統べる唯一の女王だ!と嘯いた(魏の使節たちを騙した)と伝承されています。

  • #33

    八俣遠呂智 (金曜日, 03 5月 2019 16:03)

    名無し さん
     ヤマタノオロチは、もちろん神話です。古代だからといって、そんな怪物がいるわけがありません。
     古事記では、「高志之八俣遠呂智」と書かれています。高志(越)という地域を特定していますので、越が出雲を支配していた様子を神話化したのでしょう。

    飛鳥、ねる乃木坂欅 さん
     一つの説ですね。

  • #32

    名無し (金曜日, 03 5月 2019 02:46)

    ヤマタノオロチ伝説は神話では無く事実だとどうして分かるんですか?なにか物的証拠があるんですか?

  • #31

    飛鳥、ねる乃木坂欅 (木曜日, 02 5月 2019 09:44)

    九州に藤原氏というのがあったと思いますか(笑)中臣不比人が武内すくねの藤姓を使った藤原京(藤氏の中心の都)の名前を盗んだもの、その後仲臣家は犬養美千代一族(秦氏)によって滅ぼされる。(不比人の4人の子達は全て毒殺された)

  • #30

    八俣遠呂智 (日曜日, 28 4月 2019 14:09)

    grid light さんへ。
     おっしゃる通り、視野は広く持つべきです。
    日本での漢字の読み方だけで考えるから、『「壹」は部首に「豆」があるから「ト」と発音する』などという発想になるのです。
     中国には幾つもの言語があります。古代中国語に近い客家語などを勉強して下さい。そうすれば、「壹」は「ト」とは発音しない事が分かるでしょう。

  • #29

    grid light (日曜日, 28 4月 2019 12:59)

    投馬国の位置は、籠神社の宮司様の説でもあり、良いと思います。
    旧唐書によれば、邪馬台国は九州になります。
    台与はトヨと読むので、邪馬台はヤマトとも読めます。壹は下に豆の字を含むので、トと読んでもよいはずです。
    抱腹絶倒ではありません。偏狭な見方で他説を排除するのではなく、視野は広く持つべきです。

  • #28

    穂高町有明 (土曜日, 27 4月 2019 20:25)

    「犀川」はいくつかありますが、いずれも安曇族の影が見えそうです。湖から流れ出す細い川のイメージを犀の角に重ねているのかもしれません。日本にはいない犀の名前が出てくるのも不思議ですから、その川の名前が偶然同じという事はあり得ないでしょう。
    梓川が他の河川と合流したら、大きい方の名前に変わるのが普通でしょう。どちらでも無い別の名前に変わるのは不自然な気がします。もしもそこに湖があったら、流れ込む川の名前と出て行く川の名前が別でも違和感はないでしょう。

  • #27

    八俣遠呂智 (土曜日, 27 4月 2019 19:53)

    安曇一族が安曇野に居たのは不思議ですね。
    私の説ですが、高志(越)の翡翠鉱脈の秘密保持の為に、信頼できる有力豪族の安曇氏を糸魚川南部に配置したのでは? と推測しています。

  • #26

    穂高町有明 (土曜日, 27 4月 2019 17:27)

    治水工事と農耕地造成のプロ集団安曇族という視点はとても新鮮です。
    何故海運業のプロが安曇野に定着したのだろうと疑問に思ってきましたが、もしかすると安曇野も又安曇族の治水工事の対象だったのかもしれないと考える様になりました。安曇野と北アルプスに降る雨や雪は細い「犀川」を通り信濃川上流につながります。安曇野に淡水湖が
    あったか又は洪水の多い地域であったのでしょうね。「犀川」という名前も、「司水の神九頭龍」が治水工事伝説に登場するのも気になるところです。

  • #25

    八俣遠呂智 (金曜日, 26 4月 2019 11:55)

    出たな! 掲示板あらし!(笑)

  • #24

    SINZAEMON1000 (金曜日, 26 4月 2019 08:28)

    電子工学科卒業の技術者が趣味でやってる歴史研究のど素人が嘘で先祖を侮辱するものではありません。人を無知とかど素人が侮辱するものではありません。

  • #23

    八俣遠呂智 (日曜日, 21 4月 2019 10:58)

    諸説あっていいと思います。古代史は、可能性の問題ですので。
    但し、記紀の神話を丸ごと鵜呑みにしない事と、ご当地の我田引水にならない事は、大前提です。
     なお雄略天皇の鉄剣は、埼玉県の稲荷山古墳でも発見されています。

  • #22

    名無し (日曜日, 21 4月 2019 10:12)

    雄略天皇の部下への鉄剣が江田船山古墳でも見つかってます。これは九州南部が邪馬台国の勢力圏にあった証拠にはなりませんか?神功皇后の熊襲討伐や雄略天皇の吉備国攻略、物部氏の伊勢征伐などは神話か歴史歪曲でしょうか?神功皇后の伝承は九州や瀬戸内地方に数多く残ってます。少なくとも5世紀後半に瀬戸内海沿岸の港湾設備が整備され、航海の邪魔になる岩礁が一部取り壊され、水先案内人や船乗りの交換用員が瀬戸内海沿岸に配置されるようになったのは事実だと思われますが。

  • #21

    八俣遠呂智 (土曜日, 20 4月 2019 11:31)

    ご指摘の内容は、奄美・沖縄よりも南でないと成り立たない内容ですね。魏志倭人伝での記述の信憑性の低さは、このホームページでも述べていますので、ご参照下さい。
     倭国で聞いただけの特殊な風俗習慣や、他の情報も混ざって記載したのではないか、と思っています。

  • #20

    名無し (土曜日, 20 4月 2019 07:59)

    魏志倭人伝によれば、倭人の男達は抜歯をし刺青を入れ上半身裸で素潜り漁をした、馬には乗らず常に裸足で歩いた、海南島に住む人達と似ていた、等と記述されてます。これは福井に行く途中で九州北部に立ち寄った感想なんでしょうか?

  • #19

    八俣遠呂智 (水曜日, 17 4月 2019 17:05)

    現代の人口は、北陸や山陰という日本海側は少ないですね。これを根拠にすれば、関東地方が邪馬台国という事になります。
     私の説は、鉄器の普及していない弥生時代に、どの地域が超大国だったかを調べた結果です。当時は九州や近畿よりも、越前の方が大きな勢力だったと推定しました。
     具体的には、このホームページやYouTube動画で説明していますので、ご参照下さい。

  • #18

    名無し (水曜日, 17 4月 2019 11:02)

    邪馬台国福井説に非常に感銘を受けました。しかし問題は北陸と山陰地方だけでは人口が少な過ぎて九州北部や畿内勢力に武力で対抗出来ない点です。鉄器などの武器を取り揃えてたんでしょうか?2012年に文化庁が出した地域別推計人口ではまだまだ不正確なんでしょうか?

  • #17

    八俣遠呂智 (水曜日, 17 4月 2019 07:40)

    SINZAEMON1000 様

    中臣氏が、常盤の鹿嶋神社起源というのは、神社伝説です。
    神社伝説を根拠にすると、歴史の全体像がぼやけます。

  • #16

    SINZAEMON1000 (火曜日, 16 4月 2019 16:12)

    中臣鎌足は常陸の鹿島神社にいましたが中央に来ることになりました。中臣鎌足は蘇我氏に手をかけてません。もちろん逆賊蘇我氏の敵でした。9000年前から中臣の祭祀は他人に教えない一子相伝の亀甲占いを今でもしています。3000年前から天皇は国民の代表で参拝し、祈りをする儀式を今でもしています。

  • #15

    八俣遠呂智 (金曜日, 12 4月 2019 07:44)

    yukio funada様:
    >勾玉=翡翠、翡翠=高志(越)と考えるのは早計。

    早計かも知れませんが、日本の他の地域と比較すると、格段に可能性が高いのは事実です。

  • #14

    八俣遠呂智 (水曜日, 10 4月 2019 20:52)

    SINZAEMON1000さん: 証拠は?

  • #13

    SINZAEMON1000 (火曜日, 09 4月 2019 21:55)

    鬼道の卑弥呼は太陽信仰の一族です。

  • #12

    yukio funada (日曜日, 07 4月 2019 14:46)

    翡翠が多く産出されるのは糸魚川周辺で間違いないでしょう。最初は海岸や、河川に流れ着いた小石からの発見と考えています。河川を上流に遡って回収しながら、ついに鉱脈を見つけたのでしょう。現在では、糸魚川周辺でしか採取できず、規制が入っています。しかしながら、四国にも構造体があり、古代では翡翠が少しではあるが採取できたとあります。長崎でも翡翠に近い鉱石が発見されています。また、魏に贈られたのは「勾玉」としか記載がありません。出雲ではメノウなど他の鉱石でも勾玉は作られています。勾玉=翡翠、翡翠=高志(越)と考えるのは早計。

  • #11

    八俣遠呂智 (金曜日, 05 4月 2019 07:38)

    yukio funada 様
     私の説とほぼ同じですね。古代は(現代も)平和的な時期はありません。食うか食われるかです。
     異なる点は、

    >山の幸・海の幸が豊富だから、水田農耕を大規模にやらなくても生活できた。

     もしそうであれば、人類の進歩はありません。

  • #10

    yukio funada (木曜日, 04 4月 2019 14:44)

    そもそも、大型の古墳を作るということは、多くの人の財産を略奪し、我が物にしたした結果、財力が一部の人に固まり、国を作り、そこに君臨した。その証を後の世に残すということでしょう。民の幸福のため鉄の生産をしたのではない。侵略のためです。そんな考えの人(渡来人?)が日本国中にはびこった時代ということ。人々のことを考えて、治水事業を行ったり、農具を鉄製に替えたりしたと思いますか。宝石なんかも、一般人はなくても生活できるもの。権威の象徴でしかない。
    よって、大型古墳があるから立派な国だとか、他国を統一したから強い国だとか持ち上げる必要はない。外国に侵略された国と言ってもよい。昔の日本は貧しくも平和に共存していたから、人を襲う槍や弓・鎧など必要なかった。山の幸・海の幸が豊富だから、水田農耕を大規模にやらなくても生活できた。他人の生活を奪うから、またいつか奪われる側になる。

  • #9

    八俣遠呂智 (水曜日, 03 4月 2019 07:23)

    yukio funada 様
     自説を広めるならば、ホームページ作成や動画作成など、ご自身で多くの人の目に触れる機会を増やす事です。他説を批判するだけでは、支持者は増えません。また、地元意識の強い我田引水も避けなければなりません。
     現在、畿内説と九州説が主流です。そういう古い考え方に凝り固まった人からの反発も覚悟しなければなりません。

  • #8

    yukio funada (月曜日, 01 4月 2019 19:12)

    古代の人が何を求めて居住したかということです。四国の場合、山上集落が多い。鉱山発掘の狙いがあったのではないか。もしくは、信仰上の理由、隠れ住む必要性があったなど。辰砂は船に必要なもので、希少価値の高いもの。愛媛県でも産出されています。ユダヤ系の渡来人なら説明がつきます。辰砂(丹)は死者・神とも関係するようで、朱塗りの神殿・鳥居。古墳の石棺にも使用される貴重なものです。勾玉の原料となる翡翠も発見された形跡があります。真珠も八幡浜にあります。中東地域の渡来人なら、水稲栽培にこだわりません。平野部が少ないから大国ではない発想はいただけません。ただし、邪馬台国だったかどうかは断定できませんが。候補の一つでしょう。四国にも前方後円墳はありますが、円墳でも大型のものがあります。時代的にも3世紀前半の遺跡があります。卑弥呼の墓が、前方後円墳だったとは記述されていません。発掘された古墳から辰砂が彩られた石棺が発見され、奈良の箸墓古墳より古く、原型になった可能性が高いと言われています。なぜ、注目されないのか。淡路島も含めて畿内の近くなのに、あえて四国を無視をしているように感じます。国の始めは淡(阿波)路島なのに。

  • #7

    八俣遠呂智 (日曜日, 31 3月 2019 19:19)

    裕倉持さん
     卑弥呼神社は、日本国中どこにもありません。それは神社伝説が、記紀を元に後付けした伝承だからです。ご存知のように、記紀では、邪馬台国が抹殺されています。

  • #6

    裕倉持 (日曜日, 31 3月 2019 16:03)

    邪馬台国が越の国にあれば、何処かにヒメコ神社があるはずでしょう。高志の国に文明があったかもしれませんが、

  • #5

    八俣遠呂智 (日曜日, 31 3月 2019 08:55)

    SINZAEMON1000さんへ
     牧歌的ですね。

  • #4

    SINZAEMON1000 (土曜日, 30 3月 2019 13:52)

    日本の歴史に植民地や奴隷などありません。朝鮮人の水平社宣言からです。紀元前770年に夏(農耕の神、川の龍神、守りの勾玉)は倭国の出雲で土着しました。大和王朝(三部族の三種の神器がそろった)ができるまで存在しました。紀元前660年に周(鉄剣)と商(太陽信仰の鏡、三足烏「八咫烏、八咫鏡」、亀)は倭国の九州の高天原に移動しましたが話し合いで国を大きくしました。鉄剣で王朝作っても失敗の経験していた。キトラ古墳は皇子のお墓と認定されました。四神は飾りの壁画ではありません。一族の伝統を紀したものです。東(夏の青龍)、北(商の玄武)、西(西周の白虎)、南(東周の朱雀)そして中央の黄竜です。

  • #3

    八俣遠呂智 (金曜日, 29 3月 2019 06:34)

    yukio funada 様
     ご質問に対する回答は、YouTube動画で全て説明していますので、ご視聴下さい。
    どの説も単眼的には説明が困難です。私の説も、全体を見て頂きたくお願い致します。

  • #2

    yukio funada (水曜日, 27 3月 2019 22:04)

    古代の日本はいくつもの国がありました。すべて友好国だったのでしょうか。魏の使者が通過して、「倭国王」を名乗る場所に行くのを全ての国が賛同していたでしょうか。船で直接北朝鮮方面に行くことには他国は邪魔しないでしょうが、寄港地が多すぎる。他国の領地内を移動している。そんなことはあり得ない。邪馬台国までのルートすべてが邪馬台国の従属国領地内と考えるべき。対立国は位置と現地で聞いた到達方角や日数を紹介しているに過ぎない。(やや確実性に乏しい)なぜなら、中国の天文測量技術は2点間の差で直線の距離を測る方法で、現地に行かなければ方角も距離も測れない。まさか、歩数を数えていたなんて言うのではないでしょうね。もしくは、巻き尺で測ったとか。あり得ません。水行10日もしくは陸行30日で邪馬台国を1周したという体験と思われる。行きは船、帰りは歩きということかも。で邪馬台国全体の広さがこれくらいと表されていると思います。越前の国が魏とつながりたい理由は?魏に邪馬台国の全てを見せています。ある意味従属の関係です。それでも、魏を味方につけたい社会情勢があったのです。越後は北朝鮮と友好国ですよね。おかしくありませんか?