発掘調査の現状 没・研究目的

 現在、卑弥呼の墓の発掘プロジェクトを立ち上げています。しかし当初は古代遺跡の発掘とは何ぞや? と私自身もよく分かっていませんでした。おそらく発掘現場に関わる仕事をされている方々以外は、全く知られていないのではないでしょうか。

 「文化財保護法」という法律が整備された現在では、むやみに発掘してはならない、しっかりと保存して行く、という思想が大前提になっています。

 今回は、発掘調査の現在の状況を中心に紹介します。法整備が整った反面、自由な発掘はほとんど行われておりません。

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学術・開発

 発掘調査の目的には、大きく二つに分けられます。一つは、

・学術研究目的

もう一つは、

・開発工事に先立つ行政措置

です。

 また、学術研究目的ですが、この中でも二つに分けられます。

1.大学などの研究機関が主体的に発掘場所を選んで、学術調査するケースと、

2.開発工事で破壊される前に、郷土史家が大学へ緊急調査依頼する。これは、法整備が整っていなかった時代の開発工事に相当します。

 発掘調査というと、大学の研究グループや郷土史家などが中心となって、古代の謎を解明していく、という姿を想像するのではないでしょうか。

 エジプトのピラミッドや、シルクロードの古代遺跡など、現在でも大学の考古学研究所が中心となって発掘調査しています。これらは、純粋な学術研究目的です。

 日本でも、1980年頃までは、学術研究目的の割合が大きかったのですが、現在ではその様子は全く異なっています。発掘調査の時代は、研究目的から開発工事へと流れています。現在は、95%以上が、開発工事に先立つ行政措置となっています。

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学術研究はほとんどなし

 研究目的の場合ですが、発掘資金を大学が自ら捻出して、調査を行っていました。あるいは、郷土史家などが埋蔵場所に当たりを付け、行政機関に働きかけて発掘調査したり、私財を投じて発掘調査していたケースもありました。

 現在の日本国内では、ほとんどありません。研究費が削減されている事もありますが、「発掘調査」という概念自体が大きく変わった事が要因です。

それは、好奇心から興味本位でいたずらに遺跡を掘り起こしてはならない、という考え方が浸透したからです。

埋蔵文化財は、一旦破壊してしまうと元には戻らないものですので、そのままの形で次の世代へ受け継がせるという事です。次の世代の新しいアイデアや最新鋭技術で、破壊することなく調査できる日を待つ事になります。

 一つのソリューションとして、現在行われている古墳の非破壊検査がこれに当たります。素粒子ミュオンを使った古墳の内部透視です。以前の動画で取り上げていますのでご参照下さい。

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文化財保護法不備

 もう一つの学術研究目的は、文化財保護法が完全には機能していなかった時代です。高度経済成長期には、乱雑な大規模開発で埋蔵品が失われていました。埋蔵文化財への意識の高い郷土史家などが声を上げて、人脈のある大学へ依頼して行われる事がよくあったようです。

 現在では法整備が進み、開発工事が行われる際には、それに先立つ行政措置として必ず発掘調査が行われています。

つまり研究目的ではなく、強制的に調査が義務付けられているのです。

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自由に発掘できないよ

 現在では、95%以上が「開発工事に先立つ行政措置」となっています。大規模開発事業に伴って実施されてきた発掘調査は膨大なものとなった事もありますし、「文化財保護法」の規定が強化された事もあります。

 道路、鉄道、港湾といった大規模な公共事業だけでなく、民間企業の事業用地の開発においてもこの法律が適用されます。また、小規模であっても、埋蔵文化財が高い割合で眠っている可能性がある土地では、適用があります。

 これによって、土木工事などの開発事業を行う場合、建築会社は都道府県や政令指定都市などの教育委員会に事前の届出が必要になっています。

 法整備によって、遺跡からの出土品の保全・管理が大幅に改善されました。以前は、出土品を良好な状態に保つという問題だけでなく、所有権の問題もありました。大学や個人の所有となったり、貴重な品々が散逸してしまったケースが数多くありました。

 実際に見つかった遺跡や文化財は、都道府県や政令指定都市などの教育委員会が埋蔵地や出土品の処遇を決定します。そして、より重要な文化財と認められる場合には、現状を変更せずに文化庁長官に届出を行います。

 まだまだ法の整備の足りない文化財保護法ですが、30年前と比べると格段の進歩です。

その反面、自由に発掘するというは、ほとんど不可能な状態になってしまいました。

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学術研究の例

 現在、学術研究目的で行われている発掘調査は、ほんのわずかです。有名なのは、近畿地方では纏向遺跡と今城塚古墳です。

 纏向遺跡は、弥生時代末期の巨大集落遺跡です。これは、奈良県の桜井市纒向学研究センターが大規模な発掘調査を継続的に行っています。毎年、「邪馬台国・確定!」というセンセーショナルなニュースが報道されるのは、この遺跡です。実際には、桃の種などの大した事のない出土品なのですが、それでも報道されるのは、巨額の国費を掛けて研究目的の発掘調査を行っている以上、成果が上がっている事を示す必要があるからです。なお、この遺跡の中にある箸墓古墳では、素粒子ミュオンを使った古墳の透視実験も行われています。

 今城塚古墳は、六世紀の継体天皇の墓とされる前方後円墳です。その所在地の自治体である大阪府高槻市が発掘調査を行っています。この古墳は、運よく宮内庁が指定する「陵墓」とはならなかったので、自由に調査する事が出来ました。古墳時代の様々な埴輪をはじめとする貴重な出土品が見つかっています。また、素粒子ミュオンを使った古墳の透視実験も行われています。50年以上掛けて、私有地だった部分をすべて買い取り、現在ではきれいな市民公園になっています。

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開発工事

 現在のほとんどの発掘調査は、開発工事に先立つ行政措置です。開発工事がある限り、全国各地で常に行われています。そして、縄文時代から近世までの様々な出土品が、毎年、数多く見つかっています。

 弥生遺跡で有名なのは、九州の吉野ケ里遺跡と平塚川添遺跡です。

 吉野ケ里遺跡は筑紫平野にあり、佐賀県が誘致した企業の開発の際に見つかりました。1984年の事です。弥生時代を中心とする様々な時代の出土品が見つかっています。弥生集落遺跡としては、日本第三位の規模です。

 平塚川添遺跡も筑紫平野です。福岡県朝倉市にあり、1990年の平塚工業団地の造成中に発見されました。弥生集落遺跡としては、吉野ケ里遺跡に次ぐ大規模なものです。

 なお、吉野ケ里遺跡の発見で開発工事を断念した飲料水メーカーが、新たな開発工事を行った場所が平塚川添遺跡だったというオチがあります。その後、どうなったのでしょうか?

 発掘調査の現状は、法律の整備が整い、貴重な出土品は大切に保存されるようになりました。その反面、自由な発掘調査は行われなくなりました。

 次回は、開発工事に先立つ行政措置では、どのような手順で発掘調査が行われているかを紹介します。