福井県議会陳情書2020/05

 卑弥呼の墓 発掘プロジェクトを推進しています。

2020年5月8日、福井県議会、および福井市議会へ二回目となる陳情書を提出しましたので、内容を紹介します。

まず、これまでの進捗状況です。

 

2020年1月

 プロジェクトの立ち上げ

2020年2月

 福井県教育庁への打診

  ⇒ 福井市教育委員会へたらい回し

 福井市教育委員会への打診

  ⇒ 面会するも、丁重に門前払い

 地権者・福井市企業局への問合わせ

  ⇒ 無視される

 発掘調査会社への問合せ

  ⇒ 無視される

 一回目の陳情書提出

 

というわけで、散々な状況です。

邪馬台国・越前説は、地元の福井県でも全く知られていない事を、痛感しました。

地道に啓蒙活動を行いながら、自治体に動いて頂けるように陳情を続けて行きます。

20/05/10
卑弥呼の墓と出土した土器

 陳情書の内容を紹介する前に、卑弥呼の墓の概要を再度説明します。

この写真が卑弥呼の墓です。

所在地は、福井県福井市です。現地では「丸山」と呼ばれていますが、丸山古墳という正式名称があります。墳丘墓の形状は円墳で、直径約100メートルです。

魏志倭人伝には次のような記述があります。

『卑彌呼 以死 大作冢 徑百餘歩』

【卑弥呼 死をもって、大きく墓を作る 径百余歩】

つまり、卑弥呼が死んだ後、直径100メートルほどの円墳を作ったという事です。

丸山古墳は、この魏志倭人伝の描写に完全に一致しています。

 また、1954年に頂上部に配水池を建造した際に、偶然にも、邪馬台国時代の祭祀用の器台が見つかりました。この写真です。卑弥呼の死を弔うために、この土器を用いて葬儀を行ったのでしょう。

 残念な事に、ここが卑弥呼の墓、どころか、弥生時代の墳丘墓である事すら、現地の人は全く知らないようです。

配水池工事から66年間、正式な発掘調査は行われず、貴重な古墳である事の記憶も失われてしまったのでしょう。

20/05/20
ほかの候補地との比較

 全国にある卑弥呼の墓の有力候補と比較してみます。

近畿地方で有力なのは、奈良県桜井市の箸墓古墳。これは全長280メートルの前方後円墳です。大きすぎる上に、形状が全く違います。

九州地方で有力なのは、福岡県糸島市の平原遺跡。これは一辺が15メートルの方墳です。小さすぎる上に、形状が全く違います。

 魏志倭人伝の描写と完全に一致して、しかも弥生土器が見つかった場所は、日本全国で、この丸山古墳だけです。

20/05/30
卑弥呼の墓の周辺

 この写真は、福井県福井市を北東方向に向かって写した上空写真です。中央部の少し下にお堀に囲まれた福井県庁があります。

卑弥呼の墓は、県庁から約三キロの地点で、写真の奥に見える緑色の小さな山です。

卑弥呼の墓からさらに一キロ先には、邪馬台国時代の鉄器の出土数がニッポンイチ多い「林・藤島遺跡」があります。

また、東側には多数の鉄製の長剣や、碧玉製のクダダマが見つかった王族の墓、原目山墳墓群があります。

そのほかにも、四隅突出型墳丘墓の南春日山墳墓や高柳墳墓、水田遺構や集落跡が発見された丸山釜山遺跡・新保遺跡、翡翠の勾玉が大量に発見された重立山古墳群、ニッポン最古の金の冠、銀の冠が見つかった二本松山古墳、などがあり、弥生遺跡が密集している場所です。

 さらに時代は下りますが、六世紀に近畿地方を征服した越前の大王・継体天皇が拠点とした高椋地域。その継体天皇一族の巨大古墳がある六呂瀬山古墳群もこの地域です。

継体天皇は、おそらく卑弥呼一族の末裔でしょう。

20/05/40
陳情書の内容

 では、今回の陳情書を読み上げます。

 

丸山古墳の発掘調査に関する陳情

 

丸山古墳の発掘調査の許可に関し、福井県のご協力を頂きますよう陳情いたします。

 

1.発掘許可

   県の発掘許可、地権者である福井市の発掘の同意

2.福井県教育庁埋蔵文化財調査センターの協力

   発掘計画の監修、発掘業者の選定、出土品の鑑定・保全管理、など

 

 私たちは邪馬台国・越前説を唱えており、インターネットで自説を発信しています。そして福井市丸山古墳を「卑弥呼の墓」と断定し、発掘計画を推進しています。

 当古墳は古代遺跡の密集地に位置しており、貴重な埋蔵文化財が豊富に眠っている弥生墳丘墓です。これまでの調査履歴では、1954年(昭和29年)に頂上部の貯水池建設工事を行った際に、弥生式土器が発見されています。しかしその後、本格的な発掘調査は行われないまま、現在に至っています。幸いにも、当古墳は福井市や民間の地権者の所有となっており、許可さえ得られれば発掘に着手できる古墳です。これは、天皇家の古墳のような宮内庁による縛りがないという事です。

 

福井県は、林藤島遺跡をはじめ「日本一」「日本最古」と冠が付く出土品が豊富に発見されているだけでなく、古代から連綿と続く工芸品や奇祭も、各地に点在しています。

しかし残念ながら、その認知度は極端に低く、一部の古代史ファンのみが知るところです。宝の持ち腐れと言わざるを得ません。

 当調査目的は、この地に眠り続けている倭国文化を、発掘を通して明るみに出す事です。単なる研究目的ではなく「日本列島の原点が福井県にある」ことの立証です。

 

 福井県は「とんがった」発想を応援する自治体だと伺っております。

卑弥呼の墓の発掘という、従来の枠にとらわれないチャレンジを応援して頂ける事を、

要望します。

 

福井県議会議長 田中宏典 様

令和2年5月8日

20/05/50
添付資料

 陳情書には、次のような書類を添付しました。

タイトルは福井の標準語で、「ほやで邪馬台国は福井にあったんやって」としました。

東京弁に訳すと、「だから邪馬台国は福井にあったのだ」となります。

東京弁では堅苦しい印象を与えてしまうので、福井の標準語を学習したのですが、ちょっとあざとかったかな?

 書類の内容としては、邪馬台国が存在していた事を簡潔にまとめたものです。今回は福井県福井市の丸山古墳が卑弥呼の墓である事の根拠です。

 今後、陳情書ごとに一つ一つ別な根拠を簡潔にまとめて、添付していく予定です。

 『卑弥呼の墓の発掘』という従来の枠に囚われない発想は、お役所が拒絶反応を起こすのは当然でしょう。

尖がったチャレンジは否定されるものです。それを前提に、粘り強く進めて行くしかありません。

まだ二回目の陳情です。これから何十回も、何百回も懲りずに出し続けるつもりです。

 最後になりましたが、一回目の陳情の際には、

福井県議会議員の、細川かをり様から激励のメッセージを頂きました。

とても心強かったです。

あらためて御礼申し上げます。