謎の大王 出自の嘘

 卑弥呼一族の末裔で、越前に出自を持つ第26代・継体天皇。

 日本書紀には、「継体記」としてその正当性が切々と語られています。一方、古事記では、ほとんど無視されています。

 正史である日本書紀が、継体天皇の系譜を何とか曲解できたものの、それより早く編纂された古事記では、王朝交替を疑われる内容だったので、削除されたのかも知れません。

 いずれにしても、極めて不自然な皇位継承ですので、内容を検証する必要があります。

 まず、日本書紀に書かれている継体天皇の系譜です。

第15代・応神天皇の五世孫が第26代・継体天皇です。これだけ見れば、特におかしな事は無さそうです。ところがこれは、応神天皇の傍系です。直系は、応神天皇から順に、

仁徳(にんとく)、履中(りちゅう)、反正(はんせい)、允恭(いんぎょう)、安康(あんこう)、雄略(ゆうりゃく)、清寧(せいねい)、顕宗(けんそう)、仁賢(にんけん)、武烈(ぶれつ)、に至る系譜なのです。

 これを見れば、継体天皇がいかに尋常では無い皇位継承かが分かると思います。

継体1
継体天皇の系譜

 なお、継体天皇以前の天皇は、神話の中の天皇ですので、存在自体が信憑性に乏しいのですが、継体天皇以降は確実に存在しています。今生天皇の確実なご先祖様という事です。

 ちなみに、応神天皇の父は仲哀天皇で、母は「三韓征伐」で有名な神功皇后です。卑弥呼がモデルとされている人物で、越前・敦賀の女傑です。

 同じ越前から出現した謎の大王が、邪馬台国の卑弥呼一族の末裔と見ても、矛盾はありません。

継体2
継体天皇の出生地

 次に、継体天皇の出自です。

日本書紀によれば、西暦450年に、近江の国・高嶋郷(現在の滋賀県高島市)に生まれたとされています。父親が、応神天皇の四世孫の彦主人王(ひこうしのおう)で、母親が越前の国・高向(現在の福井県坂井市)の振姫だとされています。

 幼少期に父親を亡くし、母親の故郷の越前で育ちました。「男大迹王」という名前で、越前の大王になったとされています。

継体3
継体天皇の出生地は、軍事目的利用だった。

 地政学的に、出生地とされる近江の国・高嶋は、日本海側勢力が近畿地方を侵略するには、最高の拠点です。この地図のように、高島は琵琶湖の北西岸に位置しています。高島から陸路で北西に進むと、なだらかな峠を越えて、日本海側の遠敷郷(現在の福井県小浜市)に至ります。小浜は、北の越前だけでなく、西の出雲や九州にも、海路が開けている良港です。

 陸地を移動するには獣道しかなかった当時は、船が長距離移動の手段でした。高島に軍事拠点を置くことによって、琵琶湖の水路を利用した近畿侵略、および小浜港からの物資の後方支援が非常に有利になります。

 単純に考えて、高志・出雲・九州の連合軍が、近畿を侵略する為に近江の国・高島に軍事拠点を置いた、と見るのが自然です。

 また、いつの時代も、戦いには大義名分が必要です。近畿・狗奴国の王家の血を引いているとすれば、無用な争いをする事なく、現地の豪族衆を懐柔できたはずです。

 この当時、越前では「紙」の国産化が始まっていました。(越前和紙)

高志と近畿との文明格差は、鉄器などのハードウェアや、「紙」と「文字」いうソフトウェアの両面でした。特に、ソフトウェアの威力は絶大だったと思えます。

 近江という内陸の純粋で世間知らずな豪族衆に、見たこともない「紙」に書かれた系譜図を示せば、それだけで、ひれ伏してしまった事でしょう。

 次回は、邪馬台国・越前の男大迹王が、畿内で天皇の座に就くまでを検証します。