神武東征は実話である①

 日向の国・宮崎県の古代史といえば、瓊瓊杵尊の天孫降臨から日向三代、そして初代・神武天皇による近畿地方征服が有名です。記紀の年代を信用すれば、これらが起こったのは弥生時代初期になりますが、日向の国にその根拠は見出せません。それは、古代国家の基盤となる農業条件が脆弱な事と、弥生遺跡の陳腐さからです。今回はそんな日向の国からなぜ「神武東征」という神話が生まれたのか? について考察しました。

 記紀に記されている皇族のルーツで、初代天皇が九州地方から出現して近畿地方を制圧したという神話が、「神武東征」です。あまりにも有名な話ですが、ここでザックリと紹介しておきます。

 天照大御神の孫である瓊瓊杵尊が天孫降臨したのが、日向の国・高千穂です。そして、瓊瓊杵尊、火折尊(ほおりのみこと)、鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、という日向三代を経て、磐余彦尊(いわれびこのみこと)の代になります。この磐余彦尊(いわれびこのみこと)とは、神武天皇の事です。

 神武天皇は高千穂にて、葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにしました。舟軍を率いた彼らは、日向を出発し、まず筑紫を目指します。途中、豊国の宇沙にて接待を受け、筑紫国・岡田宮で1年過ごしました。

さらに安芸国や吉備国に滞在した後、難波津に至ります。そこでの戦闘には敗れたものの、紀伊半島を迂回して奈良盆地に入り込み、この地を征服した、という事になっています。

 なお、この行程だけで十数年もの時間が掛かっています。

 記紀の年代記述を信用すれば、神武東征は紀元前七世紀となってしまいますが、これはあり得ません。その時期は、日本列島全体を見ても、まだ水田稲作が伝来したばかりですし、狩猟や焼畑農業による食料調達を行っていた時代です。人口爆発が起こっていませんので、国家という集合体自体が存在し得なかった時代です。

 仮に神武東征が実話だとした場合、邪馬台国があった三世紀頃の話だとする古代史研究家が、多く存在します。

 しかしこの場合にも、日向の国・宮崎県が起点になったとは誰も考えていないようです。日向の国は、そもそも地形的に河川による沖積平野ですし、黒ボク土地帯でもありますので、水田稲作には適していません。いわば不毛の地であって後進地域でしたので、神武東征の出発の地とするにはあまりにも不自然です。

 そこで古代史研究家たちは、日向というのは現在の宮崎県ではなく、筑紫の国の伊都国(現在の福岡県糸島市)あたりがその地だとしています。そして、邪馬台国九州説の立場に立って、九州にあった邪馬台国が近畿地方を征服したという、いわゆる「ヤマト東遷説」なる荒唐無稽なお伽噺に、神武東征を悪用している訳です。

 この説の明らかな矛盾は、日向の国を出発した後に豊の国(現在の大分県宇佐市)に入り、そのあとで筑紫の国(現在の福岡県直方平野あたり)に入っている事です。日向が福岡県糸島市だとした場合、直方平野を目指して旅立ったのに、大分県の宇沙に立ち寄った後に引き返して、直方平野に逆戻りしなければならないので、何度も往復した事になってしまいます。

 このように神武東征は、時代的・地理的に、なかなか合致する説は出ていないので、単なる「神話」として片付けられてしまっているのが現状です。

 そこで、「神話」にも元ネタがあった筈、と言う前提に立って、私なりの仮説を立ててみました。

 結論から言いますと、神武東征は実在した話だと推測しています。

日向の地は、伊都国(福岡県糸島市)などではなく、一般的な日向の国・宮崎県です。

時代は、弥生時代ではなく、六世紀頃の古墳時代です。

そして、日向の国力の源泉は、「馬」の存在です。

 前回の動画で示しました通り、日向の国は馬の繁殖適地です。農業の視点からは、不毛の地と言わざるを得ませんが、馬が繁殖するには最高の場所です。

 弥生時代には日本列島で馬が存在していた事例はありませんが、これは明らかに馬の繁殖適地が見つからなかった事によるものです。弥生時代にはおそらく、朝鮮半島から頻繁に馬が輸入されていたことでしょう。ところが、北部九州は馬の繁殖には適さない場所だった為に、あっさり死に絶えてしまったのではないでしょうか? 適地でない場所で馬を繁殖させるには、高度な馬飼職人の技術が必要ですが、その当時はまだ稚拙だったと推測します。

 四世紀~五世紀頃になってようやく、馬の繁殖適地が見つかりました。それが日向の国・宮崎県だったのです。

 馬の存在は貴重です。現代でも動力の単位で「馬力」と言う言葉が使われていますが、これは馬一頭分の仕事をこなす力とされ、人間10人分の力に相当するものです。

馬の存在は、当然ながら人力だけで行っていた農地開拓だけでなく、戦争にも強力な武器として使用されます。

 日向の国自体は、不毛の地と言う弱小地域でしたが、馬という強力な武器を手に入れた事を契機に、周辺諸国を侵略して勢力を拡大した国家に成長したと想像するに、難くないでしょう。

これはあたかも騎馬民族・モンゴル帝国が、ユーラシア大陸を征服したかの様です。そして、天皇家の初代天皇・神武天皇の姿は、モンゴル帝国・初代皇帝のチンギスカンの姿と重なります。

 今回は、神武東征は実話だというファンタジーの、端緒を示しました。もし実話だった場合、いつの時代に起こったものか? 東征の行路にどんな意味があるのか? など、もう少し具体的に考えてみたいと思います。「馬の繁殖適地」から戦争に強い勢力が出現するのは、モンゴルをはじめとして世界共通です。また馬に限らず、強力な兵器を持った国が権力を握るのは、現代でも同じです。大量殺戮兵器を持っている国々が、エラソーにしてますよね。