検証に先立って、日向・高千穂説は乱立する九州説のトンデモ説の典型だと申し上げておきます。
古事記や日本書紀(以後「記紀」)は、八世紀に書かれた神話です。その主役は九州です。九州の人々は、それらを読んで「後付け伝説」を各地に作っていきました。奈良時代以降の後付け伝説ですので、時代考証など、されている訳がありません。科学的に調べてみると、まだ海の底だったり、未開のジャングルの中だったり・・・。
日向説は、記紀の神武東征の神話や、天照大御神伝説などが影響したのです。
これは現代の宮崎県の地図です。天照大神伝説のある高千穂は、北部山岳地帯です。平野といえる場所は、宮崎平野のみです。
この宮崎平野を拡大したのが、下の地図です。弥生時代末期には、白い低地部分は海底でした。この部分を除けば、すべて丘陵地なので、大規模水田稲作は到底、無理です。棚田のような小規模水田を造るのがいいところでしょう。北部九州の玄界灘沿岸地方と同じように、小国が林立していた可能性はありますが、何の特徴も無い場所です。当然、大国にはなり得ません。
天照大神伝説のある高千穂は、さらに論外です。山岳地帯の中で、どうやったら大国が出来るのでしょうか?
なお現代から見ると、奈良時代の記紀は、とても古い書物ですが、記紀から見た邪馬台国時代も、かなり古いです。記紀の奈良時代の500年前は、邪馬台国の弥生時代末期に当たります。現代の500年前は、応仁の乱が起きていた室町時代末期に当たります。記紀と邪馬台国時代の500年間は、大半が文字も書物も無い時代です。現代で考えれば、室町時代はおろか、飛鳥時代を想像して書いているようなものです。
記紀の主人公が九州なのは、諸説あります。
1.その時代の最高権力者が九州を地盤としていた。
2.九州制圧の為に、九州を天皇ゆかりの地として、豪族たちを懐柔した。
などです。 歴史は、常に勝者の論理で書かれるものですので、時の権力者・藤原氏一族の意向が、強く働いたと見られます。
お伽噺を、真面目に考えるのは止めましょう。九州説に多い『後付け伝説』。眉唾ものです。