近畿地方が、古墳時代という黄金期を迎えたのは、大規模農業の成功にありました。淡水湖を干拓すれば、広大な農地が手に入る。 それを実践したのです。 奈良湖、河内湖という巨大な淡水湖を干拓し、広大な水田稲作地を作り出しました。
これにより、奈良・河内エリアの、一極集中型の巨大国家が出現する事になります。 淡水湖干拓なので、密林地帯を開墾しなくてもよかったのです。
時代年表で、流れを確認します。河内湖は、二世紀頃までに大部分の水が引き、広大な農耕地となりました。四世紀頃には、巨大農業国家として、古墳時代という黄金期を迎えました。
また、奈良湖は四世紀頃までに大部分の水が引き、古墳時代から飛鳥時代へという日本の中心地として、近畿地方の確固たる地位を築きました。
では、これら河内湖・奈良湖よりも前に、巨大淡水湖の水が引き、巨大農業国家が成立していたとすれば、・・・?
邪馬台国の場所を探すには、ここがポイントです。
近畿地方よりも、一足先に巨大淡水湖の干拓に成功した場所、それこそが邪馬台国です。
まず、弥生時代に淡水湖だった場所探しから始めました。
盆地と呼ばれる山々に囲まれた土地は、ほとんどが淡水湖だった場所です。
この中で、一定規模以上の面積があり、弥生遺跡のある盆地をピックアップしました。
九州では、
【都城盆地】【球磨盆地】【菊池盆地】【日田盆地】
中国・近畿地方では、
【山口盆地】【神辺盆地】【総社盆地】【豊岡盆地】【福知山盆地】
平野部では、
【出雲平野】【福井平野】
なお、水引きが、早すぎると密林地帯となってしまい、逆に遅すぎると古墳時代以降の干拓となってしまいます。ここに示した平地は、周辺に弥生遺跡がありますので、どの湖も、人為的に排水工事を行ったと思われます。
淡水湖跡の沖積層が、水田稲作に最適である事を、弥生人たちは知っていたのでしょう。
これらの中で、最も面積が大きいのは、福井平野です。
淡水湖だった時期の面積を比較をすると、
1.福井平野 14,000ヘクタール
2.奈良湖 7,000ヘクタール
3.河内湖 6,000ヘクタール
4.出雲平野 5,000ヘクタール
となります。
次に、淡水湖の水が引き始めた時期です。
国土地理院の地質調査では、
奈良湖は、三世紀頃
河内湖は、一世紀頃
福井平野の越前湖は、紀元前一世紀頃
多少の誤差はあるでしょうが、福井平野が近畿地方に一歩先んじて、大規模農業が始まった事が分かります。
この事実だけで、福井平野(越前)が邪馬台国だったと結論付けるつもりはありません。ただ弥生時代末期の二世紀から
三世紀に、越前の地に、超大国が存在していたのは間違いないという事です。