越前・鯖江の散策です。
邪馬台国の支所・鯖江には、多くの弥生時代の墳墓があります。
土器類や装飾品、鉄剣類も出土しています。
越前・福井平野の日野川流域を支配していた強力な勢力が存在していたのでしょう。
また、日野川上流には日野山という霊峰が鎮座しています。
『日の川』、『日の山』、そして『日の巫女』・・。
かつて唱えられていた邪馬壹国(サバイ国)・鯖江説も、意外に真実かも知れません。
今回は、鯖江市民の憩いの場・西山公園(長泉寺山古墳群)を散策しました。
これは、JR鯖江駅の周辺の地図です。
このエリアには、長泉寺山古墳群と王山古墳群があります。
今回散策した長泉寺山古墳群は、西山公園と呼ばれる市民公園となっていますが、80基ほどの墳墓や古墳も確認されている考古学上、重要な場所でもあります。
墳墓・古墳の時代としては、弥生時代後期から古墳時代中期頃までです。
これは、長泉寺山古墳群を拡大した地図です。
山全体に、墳墓や古墳が分布しています。
これらの中で特筆すべきは、1号墳と67号墳です。
1号墳は、一辺が14mほどの方形周溝墓です。遺体を納める墓坑のまわりに、溝を掘って区画した墓です。副葬品として、管玉14個、壺1個が見つかっています。
時代は、丁度、卑弥呼が生存していた三世紀初頭の墳墓と見られます。
67号墳は、長泉寺山古墳群の中で唯一の明確な前方後円墳で、墳丘長約52m、後円部径約30mです。
時代は、三世紀後半で、卑弥呼の宗女・壹与の時代です。また、前方後円墳が造成され始めた初期の頃なので、近畿地方と比べても最古級の古さです。
長泉寺山古墳群は、良く整備された市民公園です。江戸時代には越前・鯖江藩の庭園として開発が始まったようですが、必ずしも良かったとは限りません。
ほとんどの墳墓は盗掘され、出土品は少ないという反面があります。
墳墓の原型を留めないものも多く、市民公園が故に、古墳群としての価値が下がってしまったように思います。
なお出土品には、鉄刀・鉄鏃・刀子・やりがんな等があります。弥生時代の鉄器出土は、越前から九州にかけての日本海側では珍しくありません。
しかし、鉄器出土の無い近畿地方と比べると、はるかに価値の高い出土品と言えるでしょう。
次回は、長泉寺山古墳群のすぐ近くの王山古墳群の散策です。