弥生時代末期、邪馬台国のあった越前では、翡翠や瑪瑙などの「玉造工房」がありました。そこは、鉄器工具を用いた、当時の最先端工場でした。
近畿や九州で発見されていれば、『世紀の大発見』と大騒ぎになったはずの貴重な遺跡です。
越前で発見されたが故に、マスコミ受けせずに、一般には知られていません。
今回は、この最先端工場があった『林・藤島遺跡』の現地取材です。
この写真は、福井平野を北東方向に眺めたものです。
中央手前に見えるビルとお堀が、福井県庁で、卑弥呼の墓は、写真中央部の少し上に見える、直径約120mの円墳です。
林・藤島遺跡は、この卑弥呼の墓から北東へ約1キロの地域です。この平野を流れる「九頭竜川」の川岸に立地しています。
周辺は、弥生時代後期から古墳時代にかけての遺跡や集落跡が密集している地域です。
白山連峰を水源とする九頭竜川。山間部から扇状地上に営まれた集落跡に注ぎ出しています。この25キロ先に、日本海への河口があります。その標高差は、わずか10m。極端に平坦な平野が広がっています。
弥生時代中期には、この一帯は淡水湖でした。
そこを干拓して、大規模農地にしたのが、邪馬台国です。
林・藤島遺跡は、ここのすぐ近くで発見されています。
まず、林・藤島遺跡の概要を紹介します。
所在地は、越前・福井県福井市林町・藤島町・泉田町
出土品は、
・土器・石器等の生活用具
・翡翠、瑪瑙、ガラスなどの未完成の装飾品
・玉造用の鉄製工具二千点
・そして、この鉄製工具を造る為の鍛冶場跡などです。
時代は、二世紀~三世紀。丁度、卑弥呼の時代です。
1999年に出土して、2014年に国の重要文化財に指定されています。
この遺跡の注目すべき重要ポイントは、
1.卑弥呼が生きていた時代の遺跡である事
2.高級宝飾品の加工場ですので、中国・朝鮮への貴重な輸出品となっていた事
3.鉄製工具を自主製作していた事。つまり、先進的な鍛冶の技術を持っていた事
です。
当時の宝石の最先端工場でしたので、たとえ邪馬台国が越前ではなかったとしても、この宝石工場の事を卑弥呼は知っていたはずです。
ここが、林・藤島遺跡が見つかった場所・泉田町です。道路拡張工事の際に偶然見つかった遺跡ですので、現在は、出土品以外は埋め戻されて、普通の道路になっています。「泉田」と分かるのはバス停だけです。
卑弥呼時代の『世紀の大発見』、と私は思うのですが、現地でさえも全く注目されていないようで、その存在すら知っている人はいませんでした。
残念ながら何一つ、林・藤島遺跡と分かるものはありません。国の重要文化財に指定されているのに、扱いが寂し過ぎます。道路脇に石碑くらい立ててくれればいいのにね。
この遺跡周辺の田園風景です。丁度、稲がたわわに実っている時期でした。卑弥呼も、この地でこの稲穂を見ていたのかな?
林・藤島遺跡の様子は、予想通りでした。奈良県や福岡県と違って、だれも邪馬台国が越前にあるとは思っていないので、こんなものでしょう。
けれども、真実は、多数派が正解とは限りません。
越前には、卑弥呼の時代だけでなく、その前後も面白い遺跡が豊富です。
これに懲りずに、越前の邪馬台国散策を続けます。
埋蔵文化財センターで保管されており、一般公開はされていません。