こんにちは、八俣遠呂智です。
前回までに、藤原氏のルーツと、邪馬台国を歴史から消さなければならなかった理由を解明しました。その中で、日本神話の天孫降臨や神武東征の起点が、九州・日向の国である事の妥当性を、馬の繁殖適地という観点から推測しました。この考察の副産物として、天照大神をはじめとする神々がいた高天原の場所さえも、輪郭が見えてきました。単なる神話ではなく、その元ネタは確実に存在していたようです。今回は、邪馬台国を離れて、日本神話の場所を考察します。
藤原氏のルーツを辿ると、天照大神に仕えた天児屋命に行きつきます。彼はさらに瓊瓊杵尊に随伴して日向の国に天孫降臨しています。そして5世紀ごろに、神武東征という近畿地方への移動を行っています。これらの事から、藤原氏の祖先は日向の国の馬飼職人だったという仮説を立て、邪馬台国を歴史から抹消するに至った経緯を考察してきました。
この中で、日本書紀に書かれている数々の日本神話は単なる作り話ではない、何らかの元ネタがあったに違いない。藤原氏のルーツと関係しているはず。という確信を持ちました。
特に、天照大神をはじめとする八百万の神々がいたとされる「高天原」は、一般には架空の場所として片づけられてしまいますが、やはり元ネタは確実に存在していたと考えます。今回、私の説がまとまりましたので、順を追って示して行きます。
日本神話の主要な場所は、3ヶ所です。天照大神がいた高天原。瓊瓊杵尊が天孫降臨した日向の国・高千穂。そして高天原から追放された天照大神の弟・須佐之男命が辿り着いた出雲の国です。
地理的条件から、高千穂は現在の宮崎県、出雲は現在の島根県で、間違いないでしょう。しかし地図をパッと見ると、何か変ですよね? 2つとも高天原が起源の場所なのに、一方は太平洋に面した九州地方、もう一方は日本海に面した山陰地方。距離的にもかなり離れていますよね?
この事から私はこれまで、「所詮は日本神話。色々な場所の伝承をごちゃ混ぜにしたのが日本書紀。」という考えを持っていました。しかし、藤原氏のルーツを探る中で、これらの3ヶ所の接点が見えてきたのです。
まず日向の国は、藤原氏のルーツで考察しました通りです。朝鮮半島の新羅で馬飼職人をしていた一族がボートピーブルとなって北部九州へと流れ着き、馬の繁殖適地を探しながら行き着いた先が日向の国だった。となります。高千穂の天孫降臨というのは、そんな藤原氏一族が見つけた定住地だったという事です。
一方、出雲の国のルーツを辿ると、日向の国と同じ場所に行き着きます。
出雲風土記の国引き神話によれば、土地の狭い出雲を案じた神様が、4つの国々から土地を引き寄せたとされています。
国の名称は、志羅紀、北門佐岐、北門農波、古志という4ヶ国です。
シラキは朝鮮半島東岸の新羅の国。北門佐岐、北門農波は、沿海州に勢力を張っていた高句麗。そして古志は、北陸地方を意味する高志の国です。
この時点で、高天原の答えは、もう分かりでしょう?
日向の国と出雲の国には、新羅という共通のルーツがあるのです。
出雲の国含む日本海沿岸地域については、日向の国よりも遥かに新羅との関係が多いので、もう少し詳しく述べて行きます。
日本海沿岸地域は、縄文時代から新羅とは強力な結びつきがあります。これは日本海を流れる海流という自然作用から当然の事なのです。朝鮮半島の東岸では北から南へ流れるリマン海流。山陰地方の沿岸では西から東へ流れる対馬海流があります。新羅から船で日本海に漕ぎだした場合、何もしなくても山陰地方や北陸地方に流れ着きますね? これは北方の高句麗の場合も同じです。
新羅や高句麗からやって来た人々が、日本海地域に最先端の大陸文化を持ち込んだのは自明でしょう。実際に、日本海側の弥生時代の遺跡から発見される出土品には豪華な威信財が多く、北部九州の弥生遺跡をも凌駕しています。特に有名なのは、丹後や越前での鉄器出土が九州を上回って日本一多いという事実です。これは明らかに、新羅・高句麗との関係が深かった事を裏付けています。
文献史学上でもその傾向がみられます。
神話の物語ではありますが、但馬の国の天日槍や敦賀の都怒我阿羅斯等です。この二人は同一人物とされており、新羅の王子として、日本海地域に勢力を張っていました。
都怒我阿羅斯等についてはその末裔に神功皇后がいます。ご存じのように古代史最強の女傑で、邪馬台国・卑弥呼のモデルとされている人物です。越前の角鹿笥飯宮に都を置いて、熊襲征伐や三韓征伐を行いました。三韓征伐の際には新羅での戦いがありましたが、そのあともう一度新羅に渡って征伐を行ってます。さらに、新羅の鍛冶職人を連れ帰ったという話も日本書紀には記されています。とにかく新羅とは非常に結びつきが強い人物です。
このように神話の中の話とはいえ、日本海沿岸地域と朝鮮半島との結び付きは、とても強固なものがあります。
では、日本神話における高天原と出雲の国との関係を見てみましょう。
最も有名なところでは、八俣遠呂智神話です。これは、高志の国・現在の北陸地方が出雲の国を植民地支配していた時代の物語です。天照大神の弟、須佐之男命が高天原を追放されて辿り着いた場所が出雲の国であり、そこで出雲の国を救ったという話です。
古代の出雲の国は、高志の国によって搾取されており、毎年、娘を一人ずつ連れ去ってしまうという恐ろしい怪物・八俣遠呂智が現れる場所でした。古事記には、「高志の八俣遠呂智年ごとに来たり」と記されています。
この八俣遠呂智を退治したのが、須佐之男命です。その後、娘と結婚して大国主命をもうけ、日本列島の国造りへと進んで行く事になります。
では、須佐之男命がやって来た高天原はどこになるでしょうか? 地理的に東側には八俣遠呂智の本拠地である高志の国がありましたので、高天原があったとすれば西側の地域になるでしょう。
また、これまでの推察から、出雲を含む日本海沿岸地域と最も繋がりが深いのは、朝鮮半島の新羅です。
出雲神話の視点からも、新羅こそが高天原になりそうですね?
余談ですが前回の動画で、藤原氏が邪馬台国を消し去った理由を、高志の国の大王・継体天皇や、それに随伴して来た蘇我氏一族に対する怨念である、としましたが、ここでもその傾向が見られますね? よほど悔しかったのでしょう。この神話でも同じように、高志の国を極悪非道な怪物に仕立て上げて、徹底的に蔑んでいますよね?
高天原を朝鮮半島の新羅とした場合に、日向の国、出雲の国の両者に辻褄が合ってきます。
3世紀頃に、中国大陸北部の高句麗の南下政策によって、新羅の国からボートピーブルになった人々。リマン海流や対馬海流に流されるままに、一部の者は北部九州に流れ着き、一部の者は日本海沿岸地域に流れ着きました。
馬を伴って北部九州に流れ着いた者は、その後、馬の繁殖適地として日向の国を見つけ出し、高千穂にて天孫降臨しました。それが瓊瓊杵尊であり、藤原氏の始祖・天児屋根命です。
また、日本海沿岸地域に流れ着いた者は、出雲の国で八俣遠呂智と戦った須佐之男命の一族でした。その後大国主命によって、日本列島の統一へと乗り出します。
遠く離れた日向の国と出雲の国ですが、ともに日本神話の舞台であり、起源は新羅となります。高天原は、まさにこの場所であり、藤原氏一族の起源でもあるのです。
いかがでしたか?
日本神話の起源が朝鮮半島とは、かなり不愉快になったことでしょう? けれども安心して下さい。新羅は縄文時代からずっと倭人が住んでいた場所です。考古学的にも、この地の紀元前の遺跡からは縄文土器しか出土していませんので、間違いありません。藤原氏の先祖が新羅からの渡来人だとしても、それは、帰国子女のようなものです。
なお、現在この半島に住んでいる民族は、七世紀の白村江の戦いで倭国が敗北した隙に入り込んで来たユウロウという卑しい民族です。