古代の超大国 畑作では無理

 邪馬台国の場所を推定するに当たり、私は「大規模な天然の水田適地」を見つける方法を選びました。

日本列島という温暖湿潤で、平地面積の狭い国土には、水稲栽培が最適だったからです。

 ところが、これに疑問を持つ方々からのクレームが後を絶ちません。

「畑作の何が悪いの?」「エジプト文明だって畑作じゃん」

という理屈です。

 今回は、農業の基本に立ち返り、「水稲じゃなきゃ駄目なんです」を示します。

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水田稲作は収穫効率が良い

 日本列島のどこへ行っても見られる草があります。人工的に栽培されている草、「稲」という名前です。

 2500年前に中国の長江流域から伝わったとされている草で、日本列島全域に広がりました。それには確固たる理由がありました。

「日本の気候風土に適合したから」と中学校の教科書には書かれてありますが、それだけででしょうか? むしろそれは二番目の理由です。麦類、豆類、トウモロコシといった他の穀物だって、十分に栽培できる自然条件が、日本列島にはあるのです。

ではなぜ水田稲作が定着したのでしょうか?

答えは単純です。最大の理由は、「収穫効率が良い」からです。

 これは当たり前のようで、意外に知れられていないようです。

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人口扶養力

  感覚的に理解できる事例は人口密度です。日本とイギリスという同じ島国を比較してみましょう。

日本の人口密度は1平方キロ当たり340人、イギリスは259人です。あまり差がないと思うかもしれませんが、国土の80%以上が山岳地帯の日本に対して、なだらかな丘陵地帯の多いイギリス。人の住める場所や農業が行える場所の面積では、イギリスの方が二倍以上広いのです。つまり、実質的な人口密度は、日本の方が3倍以上高いということです。

 これは、水田稲作の日本と、畑作のイギリスとの、人口扶養力の差なのです。

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赤道直下の比較

 さらに分かりやすいのは、東南アジアです。世界で最も人口密度の高い地域ですが、暑い日々が続く熱帯なので作物の成長が早いから、とだけ思ってはいませんか。確かにそれも理由の一つです。しかし最も大きな理由は、やはり水田稲作が行われているからなのです。

 同じ熱帯地域のアフリカ大陸中部や、南アメリカのアマゾン地帯では、同じような気候風土でありながら、畑作農業が主体です。これらの地域は、東南アジアほど人口密度は高くありません。

 つまり、水田稲作の人口扶養力の方が畑作に比べて、格段に高いという事です。

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水田稲作は王様

 一般論ですが、米の人口扶養力は、麦やトウモロコシなどの他の主要穀物に比べた場合に3倍~4倍も期待できるとされています。それは、単に米の栄養価だけの理由ではありません。大きく四つに分けられます。

一つには、

 1.単位面積当たりの収穫量が多い事。2.連作障害がない事、3.土壌の質が劣化しない事。4.病害虫に強い事です。

これらの詳細は、次回の動画で説明しますが、感覚的に分かるのではないでしょうか?

同じ農地で、同じ植物・稲を栽培する。それどころか、二期作という一年に二回も同じ作物を栽培できる。これは、水田稲作以外には、有り得ません。水田稲作は、穀物栽培の頂点に立つ王様のような存在なのです。

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エジプト文明は氾濫があったから

 ではどうして、畑作農業を行っていた乾燥地帯のエジプトにに古代文明が起こったのでしょうか。

これは、ナイル川というアフリカ大陸で最も長い大河の作用にあります。ナイル川上流には、ヴィクトリア湖という赤道直下の湖があります。この地域はサバナ気候で、雨季と乾季がはっきりしている地域です。雨季の時期には、ヴィクトリア湖はあふれ出し、ナイル川の水量は爆発的に増加します。その帰結として、下流部のエジプト三角州地帯では氾濫が起きて、水浸しになってしまうのです。

 現代でこそ、洪水や氾濫はあってはならない事ですが、古代の農業では、貴重な恵みの水だったのです。それは、農耕地を一定期間水で覆いつくすという、水田稲作と同じような効果があると同時に、雨水とは違って上流からの水は栄養分を含んでおり、連作可能な新たな土を運んでくれる作用もありました。

 このようなナイル川の氾濫が、エジプト三角州地帯では、農閑期の秋から冬に掛けての丁度いい時期に、毎年起こっていました。

そして春になればその水が引き、乾燥気候の作用もあって湿地帯にはならずに、再び栄養豊富で水分豊富な農耕地として蘇っていたのです。

 連作障害もなく、同じ場所で同じ畑作物が、毎年安定して収穫できていたのです。

メソポタミア文明、インダス文明、および黄河文明という乾燥気候の地域から起こった文明は、ほぼ同じような理由です。畑作農業でありながらも、毎年、高い農業生産力がある地域でした。

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日本の事情

 古代の日本列島でも、それが可能だったのでしょうか?

それは無理でした。

 乾燥気候ではない雨の多い湿潤気候ですので、いったん氾濫してしまうと湿地帯になってしまい、なかなか水が引きません。また、河川が氾濫する時期も、太平洋側では作物の成長期や収穫期の6月~9月になってしまいます。

 農業は、気候や地理地形に適合した作物でないと、高い収穫効率は得られないという事です。

 ちなみに日本海側は、水田稲作には最高の場所です。降水量が最も多いのは雪の降る冬の間。水田稲作の田植え前の時期には、ちょうど雪解け水による河川の氾濫が起きて、農耕地に適度な水が張られます。作物の成育期や収穫期には、太平洋側ほど酷い氾濫は起こりません。

 これらのように、現代の治水工事が整った時代では想像も付かない農業の現実が、自然の作用と深く結びついていた事が分かります。弥生時代の超大国・邪馬台国を特定するには、まず第一に「巨大な天然の水田稲作地帯」を見つける事から始めなければなりません。

 この根拠を礎にすると、九州説や徳島説は消えます。古文書がどうとか、考古学がどうとか言う前に、農業の視点から見直してみてはいかがでしょうか。

「水稲じゃなきゃ駄目なんです」