やってはいけない曲解②

 魏志倭人伝の中で邪馬台国(邪馬壹國)は、たったの一回しか書かれていない事をご存じでしょうか?

行路の記述の中で、「邪馬壹國 女王之所都」として登場しますが、それ以外に「邪馬壹國」という記述はどこにも無いのです。ところが、「女王國」は5回も書かれています。

 魏志倭人伝を曲解せずに素直に読めば、女王國と邪馬壹國とは、同じではない事に気が付くでしょう。

アマチュアの古代史研究家に限らず、プロの歴史作家でさえも、両者を同一視するという初歩的なミスを犯しています。

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倭国の構造

 前回の動画の繰り返しになりますが、魏志倭人伝を曲解せずに素直に読んだ場合、倭国に存在していた国々は次のようになります。

 まず、倭国という古代の日本国があります。その中に、女王國という広域に渡る諸国連合国家があります。倭国の中でも、女王國に属する国々と、そうでない国々が記されています。属する国々は、伊都国、現在の福岡県糸島市からで、奴国、不彌國、投馬国、などが含まれます。もちろん、女王の都・邪馬台国も、この中の一つの国です。

 倭国の中で女王國に属さない国は、朝鮮半島南部の狗邪韓国や、対海国、一大國、末蘆国などがあります。そして女王國に敵対していた狗奴国は、女王國の南に位置していると書かれています。

 このような倭国・日本の勢力構図が、魏志倭人伝からは読み取れます。

つまり、邪馬台国は女王國に含まれ、女王國は倭国に含まれます。

そして、これらの国々全体の倭人についての描写が、魏志倭人伝の本質です。邪馬台国は女王の都とのみ書かれていますので、そこにだけ焦点を絞った内容では、決してありません。

 今回の「やってはいけない曲解」は、広域な諸国連合国家である女王國と、その中の一つの国である邪馬台国とを、同一視してしまう曲解です。

「女王國」と「邪馬台国」とは、ストーリーの根幹をなしている重要な存在です。これを曲解してしまっては、元も子もありません。魏志倭人伝を根本から否定する行為です。

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切ない曲解

 これに関連する具体的な誤りには、女王國までの距離の記述があります。魏志倭人伝には、

「自郡至女王國萬二千餘里」

帯方郡から女王國に至るには、一万ニ千里。と記述されています。なんら不自然なところの無い記述です。

ところがこれを、「帯方郡から邪馬台国に至るには、一万二千里」と勝手に曲解してしまうのです。これだと、邪馬台国は北部九州の中に収まりますので、九州説論者にはとても都合がいいですねぇ。

けれども、これはいけません。固有名詞を変更するなどもってのほかです。女王國と書かれているのに邪馬台国としてしまうのは曲解どころか、嘘つきです。

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矛盾なし

 素直に魏志倭人伝を読めば、朝鮮半島の帯方郡から女王國の端っこの伊都国までの合計距離は、一万三百里。それに対馬と壱岐島の長さを加えれば、ほぼ一万ニ千里になります。書かれている距離自体に誤差がありますが、ここでは単純に書かれている数値を足し算しただけです。そうすれば、帯方郡から女王國に至るには、一万ニ千里。というのに何の矛盾もなく、曲解する必要もありません。記述通り、女王國までの距離であって、邪馬台国までの距離ではない事は断言できます。

 なお、私は九州説を目の敵にしているわけではありません。元々九州説支持者でしたので、強引な我田引水を行っていた自分の経験から、ズルい手の内を知り尽くしており、それを暴露したいだけです。

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違う!

 また、邪馬台国は諸国連合だと主張する古代史研究家も多いですね。そんな事、どこにも書いてありません。

女王國については、多くの国々が集まった諸国連合国家であるという描写がなされていますが、邪馬台国はその中の一つの国であり、女王の都とだけ記されています。また、邪馬台国は、女王國の中で「七万戸」という最も人口の多い超大国です。

 ところが、邪馬台国は小さな国々が集まって七万戸となった連合国家だと曲解してしまうのです。

魏志倭人伝のどこをどう読めば、そんな解釈になるのでしょうか?

そういう方々には、魏志倭人伝の原文を丁寧に読むことをお勧めします。

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特徴

 前回の動画の内容に重複しますが、女王國の風俗習慣の記述を、そっくりそのまま邪馬台国の風俗習慣としてしまう輩もいます。前回示しました、

・絹の産地である

・一年中温暖な場所である

・真珠、翡翠、丹の産地である

これらは、邪馬台国の風俗習慣や物品の産地としては描かれていません。あくまでも広域の連合国家である女王國の中の、一部地域の特徴です。また、

・棺を安置するための「槨」(かく)を使っていた

・鉄鏃などの鉄器の出土が多い

・宮室、楼観・城柵がある

という意見もあります。これらも魏志倭人伝の記述からの曲解です。同じように、女王國の一部地域の証明にはなっても、邪馬台国である事の証明にはなりません。

 私は、越前説を唱えています。鉄器の出土数が日本一多い福井県の林藤島遺跡や、新潟県糸魚川市の翡翠の鉱脈、福井県丹生郡の丹の鉱脈、若狭湾の真珠の出土などの根拠をもって、北陸地方が邪馬台国であると主張したいところです。しかし、魏志倭人伝の記述は、女王國のことであって、邪馬台国限定ではありません。大した根拠にはならないでしょう。

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松本清張の願い

 これらのような「やってはいけない曲解」は、アマチュア古代史研究家だけがやっている事ではありません。

推理小説界のトップに君臨する、かの松本清張氏も同じ過ちを犯しています。最初に上げた、

「自郡至女王國萬二千餘里」

帯方郡から女王國に至るには、一万ニ千里。という記述を、帯方郡から邪馬台国に至るには、一万ニ千里。と平気で曲解しています。九州出身の彼にとっては、九州に邪馬台国があった事にしたい、という切ない願いがあったのでしょう。

 さすがにこれだけの人気作家ですので、自説を展開する文章の構成や、表現力には素晴らしいものがあります。それだけに、素人さんは簡単に騙されてしまいます。余計に、タチが悪いですねぇ。

 松本清張氏に限らず、現在活躍中の歴史作家の中にも、「女王國=邪馬台国」としている輩を、しばしば見かけます。

そういう連中に限って、「魏志倭人伝は素直に読むべき」とのたまっているのは、笑止千万です。

もちろん、魏志倭人伝は素直に読むべきです。そして、邪馬台国は女王の都に過ぎない事を、肝に命しなかればなりません。

 古代史研究において、松本清張氏をはじめとする先人の知恵は、全く役に立ちません。先人を否定してこそ、真実が見えて来るように思います。