卑弥呼の次なる功績は、製鉄所を作らなかった事です。
「鉄の加工が盛んならば、製鉄所も作ればいいのに・・・」と誰もが思うでしょう。ところが、当時の製鉄所は、国を滅ぼす工場だったのです。
製鉄所の欠点
1.砂鉄の採集(たたら製鉄の場合)
原料となる砂鉄は風化花崗岩類中にごくわずか、容積にして0.4%程度しか含まれません。そのため、大掛かりに山地が掘り崩されるとともに、莫大な量の廃土が生み出される事となります。
2.木材の切り出し(鉄鉱石・砂鉄とも)
砂鉄は酸化鉄ですので、これを還元するために木炭が必要です。当時の非効率の製鉄所では、わずかな鉄を得る為に大量の木炭が必要でした。山々の森林は切り出され、はげ山となり、洪水・土砂災害で田畑は荒れ放題となります。さらに、川の水に栄養分が無くなるため、海産物の生育にも悪影響が出ます。
卑弥呼は、そのことを良く理解していたのでしょう。鉄のほとんどを朝鮮半島から輸入し、自国で製鉄所を作ることはしませんでした。
なお、卑弥呼一族の末裔である第26代継体天皇は、生誕地とされる近江に数多くの製鉄所を作りました。これは実際には、継体天皇が近江の生まれではない事を物語っています。本来の生誕地である越前(邪馬台国)が近江を植民地化し、近江に多くの製鉄所を作らせて国力を弱めたという説が有力です。
卑弥呼の宗女の壹與(神功皇后)が、朝鮮半島の新羅・百済を制圧併合できたのも、製鉄工場で疲弊・弱体化させたことが一因でしょう。
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