鉄の加工

 卑弥呼の次なる功績は、鉄の加工です。

 

 越前は、かなり特殊な進化の過程を経ています。

普通であれば、

 石器 → 青銅器 → 鉄器

と進化します。九州、出雲、近畿など主な遺跡出土地域は、この過程です。ところが、邪馬台国(越前)は、

 石器 → 鉄器

です。青銅器の出土がほとんどありません。そして鉄器の出土は、卑弥呼の時代の二世紀から三世紀に掛けて、日本での最大出土量となります。この状況は、不思議過ぎます。

 私の推測では、鉄鉱石の産地である北朝鮮東岸からダイレクトに高志(越)に入って来たと見ます。弥生時代後期、朝鮮半島では高句麗が勢力を伸ばし、対抗勢力がボートピープルとなり、九州を介さずに高志(越)や出雲に漂着したのでしょう。リマン海流から対馬海流への流れや、北西の季節風などを考えれば、自然です。北朝鮮に起源のある四隅突出型墳丘墓も、高志(越)と出雲にだけ見られます

。また、越前(福井県・石川県)に、朝鮮渡来人の地名が多く残っている事からも、推測に値します。典型的な例として、

 石川県小松市 ← 高麗津(コマツ)

高句麗の港という意味が語源です。小松市には、オンドルなど北朝鮮式の住居跡も残っています。

 四隅突出型墳丘墓の起源も北朝鮮に見られ、日本での分布は、高志(越)と出雲です。

 

 とにかく卑弥呼は、最先端技術の『鉄』をいち早く朝鮮半島から輸入し、鉄剣、農機具、掘削機具、装飾品加工機具として利用していたのは確実です。一世紀末頃からの出土品があり、卑弥呼の時代の二世紀末から三世紀には、全国最大の鉄器の出土が確認されています。九州北部や、出雲を上回る最大の鉄器大国になっていました。

 鉄器製造所(鍛冶場)の遺跡も幾つも見つかっています。特に細呂木製鉄遺跡は、遺構(現存4基)が確認されており、鉄器製造が盛んだったことが伺われます。この細呂木という地は、以前は『金津』という町の一角でした。その名の通り、金属の港という古代からの町です。右図の通り、わずかに残った淡水湖域に面した場所に位置しています。朝鮮半島から輸入した鉄を、この地で荷下ろししたのでしょう。

 

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卑弥呼

朝鮮半島から邪馬台国への鉄
朝鮮北東部から邪馬台国へ鉄が流入していた。
邪馬台国の鉄の貿易港
古代朝鮮との交易港・高麗津(小松)[邪馬台国]
邪馬台国の港
邪馬台国の鉄の港・金津