治水工事の先駆者

 卑弥呼、または卑弥呼一族の最大の功績は、治水工事です。

古代に限らず「水を治める者は、国家を治める」と言われるくらい、治水工事は重要です。人間が生きていくための最低限必要なことは、『食』です。食を確保するためには、耕作地が必要です。特に、水田耕作地の良し悪しが、弥生時代の国家運営の基幹となります。

 

 卑弥呼は、それをよく知っていたのでしょう。淡水湖を干潟にすれば、最高の水田が生まれる事を。卑弥呼の事業は、越前の古代淡水湖の北端の砂礫層を掘削することでした。鉄器という当時の最先端機具を使って、砂礫層の開口を広げ、淡水湖の水を流し出しました。それにより、邪馬台国(越前)に、広大で、平らで、水はけの悪い、最高の耕作地を生み出したのです。水田耕作地が広がれば、食料が豊富になるだけでなく、各地から人材や物資が集まります。邪馬台国の基盤を作った最大の要因は、この治水工事でしょう。

 

 なお、この開口部は、現在の九頭竜川河口域(福井県三国町)です。後の、第26代継体天皇の母親の出生地でもあり、卑弥呼一族の末裔であるといわれる所以です。

越前湖の排水
邪馬台国の巨大淡水湖の排水事業
越前の広大な農地
排水後の越前の地図。広大な農地が広がった。[邪馬台国]

 ところで、島根県出雲市近郊に、古志町という町があります。出雲市を含むこの周辺一帯は、出雲伝説に古志郷(こしごう)として記載されています。古志の国から治水工事の為に、移り住んできた人々の地域だそうです。古志=高志(越)ですので、伝説の時代から越前は治水工事に長けていたのが伺えます。

 

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卑弥呼