古代の鉄は何に使われた? 武器ではありません

 こんにちは、八俣遠呂智です。

邪馬台国の【鉄】シリーズ、二回目です。

前回は、世界規模での鉄の歴史を俯瞰してみました。紀元前1700年にトルコで初めて鉄の生産が始まり、その後、全世界へと広がりました。ところが、技術の進化という点では中国が勝っており、中世までは確実に東アジアの方が上を行っていた事を示しました。

 今回は、古代社会において「鉄」が使われた用途を考察します。

 古代社会における鉄の使用用途は何だったのでしょうか?

そんな疑問に対して、ほとんど人は戦いの道具、すなわち武器としての鉄器を思い浮かべるのではないでしょうか?

鉄器が出現する以前には、青銅器という柔らかい金属しか存在しておらず、武器としては役立たずでした。その為、木刀や竹槍や、それらの先端に石を取り付けたりした飛び道具があった程度でした。

そこへ鉄が出現しました。それによって、鉄剣や鉄鎗、鉄の鏃などが作られて、戦闘能力が格段に向上した。そしてそれに対抗するのに鉄の鎧などの防御服も作られた。と、一般には理解されています。

 しかしこの考えは安直過ぎますよね?

 古代社会において、鉄がどのように利用されていたかは、明確には分かっていません。

それは、鉄は錆びて土に還ってしまうために、古代の歴史的な遺物で鉄製のものはあまり残っていないからです。例えば、ヒッタイト(現在のトルコ共和国)の遺跡の場合です。

 ここには世界で最初に人工的に鉄を作り出したとされる遺跡がありますが、鉄器や鉄滓、あるいは生産設備や道具類などはほとんど見つかっていません。世界初の製鉄遺跡とされているのは、ボアズキョイ文書と呼ばれる粘土に書かれた文書の中に、この地における鉄生産の状況を示唆する資料が見つかっている事が大きな根拠になっているからです。考古学的な鉄器の出土はほんの僅かしかないのです。

 従って、この地において大いに鉄の生産が盛んになり、軽戦車などの武器を製作し、それを駆使して周辺地域を次々と征圧したというのはファンタジーに過ぎず、文献史学上のお伽噺なのです。

 但しこの地域には鉄鉱石の鉱脈があり、紀元前10世紀以前の遺跡も豊富ですので、世界で初めて鉄の生産が始まったとする仮説も、多少の説得力はあります。

 しかしその鉄を活用して武器を造り、強力な軍事力を保持していたという根拠は何も無いのです。

 また、前回の動画でも紹介しました通り、ヒッタイトで始まった製鉄は原始的なもので、還元材料としては木炭が使われていました。その基本的な製造方法は、ヨーロッパでは17世紀ころまで延々と続きました。ずっと石炭が使われなかったのです。そして、生産された鉄を加工する方法は、鋳型に流し込む方法ではなく、鍛冶屋さんのように叩いて成形する方法でした。

これでは武器となる鉄器を大量に生産する事はできませんよね? ヒッタイトが強力な軍事力を持っていたというのは、文献史学上のお伽噺でしかないのです。

 ヒッタイトに限らず、その後のヨーロッパでの鉄の状況も同じです。中世の騎士団の絵に、このような厳つい鉄の鎧、鉄の兜を身に纏い、鉄の盾と鉄の刀を持った人物が描かれますが、これもお伽噺ですね?

多くの戦闘員がこの様な武装をするには、それだけの「鉄」が必要ですが、そんな生産力は、当時のヨーロッパにはありませんでした。また、そもそもこんな重装備をしたならば、重すぎて身動きが取れなくなりますし、盾や鉄剣も重すぎて持ち上げられません。もしこんな格好をして戦ったならば、鎧兜を纏わずに木刀だけを持った戦闘員に、ボコボコにされてしまいます。

 なお、中世ヨーロッパでこの様な鎧兜は実在していました。それは戦争で使う実用的なものではなく、上流階級のコレクションのようなものでした。日本の戦国時代もそうでしたよね? 立派な鎧兜に立派な日本刀を身に着けていたのは、上層部の一部の者だけでした。

 このように古代社会において、鉄を利用して武器を生産し、軍事力が増強されたというのは、ほとんど現実的ではありません。もちろん、鉄製の剣や鎧兜は作られたでしょうが、それはあくまでも権力者の威光を高める為の物でした。いわゆる「威信財」です。

 戦争が起こった際に鉄器が利用されたとすれば、敵を殺害するという実用的な用途ではなく、敵の戦意を喪失させる効果だったと考えます。コケ脅しの材料です。木材や青銅器で作られた武器しか持っていない敵に対して、鉄で作られた武器を見せつければ、それだけで十分に効果があります。最新鋭の兵器を持っている国は、それだけで敵を威圧する力がありますからね?

 現代では核兵器を持っている国は、それだけで大きな顔をしていますが、これと同じようなものです。古代では、鉄の武器を持っている国は、それだけで大きな顔ができた事でしょう。

 では古代において、鉄の実用的な活用法は何だったのでしょうか?

それは工具類です。

 建築や造船用の木材加工の工具。木材を繋ぎ合わせる為の金具。農地開拓の為の土木作業工具。作物を刈り取る為の農作業工具。馬の蹄に打ち付ける蹄鉄。

日本固有の物としては、玉造り用の加工工具。

などがあります。これらの詳細は、次回以降の動画で示して行きます。

 なお、古代遺跡から出土する鉄器には、鉄剣などの武器が多いという事実はあります。

これは先ほど述べました、武器は威信財である事から説明が付きます。威信財であれば、大切に保管され、持ち主が亡くなった際には、お墓に副葬されます。このような丁重な扱いがなされていたからこそ、鉄という錆びて朽ち果ててしまう金属であっても、現代まである程度の形を留めて、遺跡からの出土品として発掘される訳です。

 一方、実用品ではそうは行きません。一般庶民が繰り返し使用し、摩耗する上に、保管状態も威信財に比べて極端に悪くなります。すると、遺跡から出土する事は極めて稀になってしまうのです。

 そういう側面からも、鉄が武器として使われて軍事力が増強した、という短絡的な結論にはならないでしょう。

 いかがでしたか?

ヨーロッパで作られる鉄剣が全く実用的で無い事は有名ですね? それは古代に限らず現代の鉄の刃物にも言える事です。ゴッツイだけで、切れ味はサッパリ。殺傷能力という点では、「切る」というよりも「叩いて骨を砕く」というレベルの物です。日本刀のようには行きません。ヨーロッパでの一対一の戦いは、フェンシングのような軽くて細い金属で「突く」、という方法でした。ただし、これも戦闘能力という点では貧弱ですよね?

畿内説を擁護しているわけではありません

 邪馬台国九州説を支持する人たちは、必ずといっていいほど、「奈良盆地からは鉄器の出土はない。そんな場所に邪馬台国は有り得ない。」と、畿内説を批判します。

 今回の動画では、古代社会では「鉄」は実用的な武器にはならなかった、としましたが、これは決して邪馬台国畿内説を擁護しているわけではありません。

「鉄器」という存在は、それ以前には無かった武器や農耕具が使えるようになったわけですので、古代社会の技術レベルの指標にはなります。従って、近畿地方が超後進地域だったのは間違いないでしょう。それを考えれば、畿内説は決して成り立たないですね。

 私が言いたかったのは、生産技術などを考えると、現代人が思うほど鉄器の存在は重要では無かったのではないのか? という事です。

 私が比定する邪馬台国・越前や、投馬国・丹後から鉄器は、その当時の出土数量で日本一ですので、本当であればもっと鉄の重要性を強調したいところです。しかし客観的に見て、「鉄」というのはたくさんあるファクターの中の一つではあっても、重要なものではない。と考えています。

 鉄が多く出土するから軍事大国だった、とか、農地開拓が進んだ、なんて有り得ないと思っています。