卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命?

 八俣遠呂智へようこそ。

古代史最大のミステリー・邪馬台国。魏志倭人伝という中国の歴史書の中にだけにしか登場しない日本最古の超大国。そして女王・卑弥呼。

 その軌跡を知ることができない卑弥呼は、果たしてどういう人物だったのでしょうか?

今回お送りするのは、「卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命だった。」という説について、さまざまな角度から検証してみたいと思います。

  日本書紀に記されている年代に素直に従って、卑弥呼の有力候補を記して行きます。邪馬台国があった三世紀頃の人物は神功皇后。紀元前一世紀頃の倭迹迹日百襲姫命。そして、紀元前九世紀頃の天照大御神、の3人です。

 今回考察する人物は、この中で二番目に古い、倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)です。日本書紀に従えば、紀元前1世紀頃となります。

 倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)は、第7代孝霊天皇の皇女で、三輪山の神である大物主神との神婚譚がある巫女的な女性です。

また、奈良県桜井市の箸墓古墳伝承、埋葬されたキビツヒコの姉、としても知られています。

 時代的には、邪馬台国よりも400年も前になりますが、そもそも神話の人物ですので、ここでの時代考証や実在性についての考察は控えます。

 では、邪馬台国・卑弥呼との類似性を示して行きます。

 倭迹迹日百襲姫命、以下モモソヒメにも、天照大御神と同じように神話のエピソードが語られています。

世が疫病や飢えに苦しんでいた崇神天皇の時代に、彼女は災いの元は何なのか?占いました。すると、大物主の神がモモソヒメに神がかりして、自分を大切に祀ってくれれば、国は平和になると告げました。言われた通りにすると、すぐに災いが収まり平和になりました。そしてモモソヒメは、大物主の神の妻になります。しかし、大物主神はいつも夜にしか現れず、顔をよく見ることができませんでした。そこでモモソヒメは、朝に会って顔を見たいと言います。ところが明朝、現れた大物主神は蛇の姿だったのです。これに驚いたモモソヒメが悲鳴をあげると、大物主神は山に帰ってしまいました。悔やみ嘆いたモモソヒメが床に座り込むと、置いてあった箸が陰部に刺さり、亡くなってしまいました。

という話です。

 ではなぜモモソヒメ=卑弥呼なのか? その理由を3つだけ説明します。

 まず一つ目に、モモソヒメが葬られた箸墓古墳は、卑弥呼の墓ではないか?と考えられている古墳です。そして、卑弥呼が亡くなった際に共に埋められた奴婢100人は、倭迹迹日百襲姫命という名前にある百襲(モモソ)、つまり「百を襲う」という意味に関係があるのではないか?と言われています。また、箸墓古墳が作られた年代は、卑弥呼の時代に近く、また魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の墓の大きさは「径百余歩」と記されているのですが、この大きさと箸墓古墳の大きさとが合致する、などと曲解する説もあるそうです。

 二つ目に、倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)という名前にある姫命(ヒメノミコト)や、天皇の娘を意味する皇女は、「ヒメミコ」とも読めるため、卑弥呼という発音と似ています。「ヒミコ」とは「日の巫女」を意味する、とする説が、天照大御神支持者の間では一般的ですが、モモソヒメについては「ヒメミコ」を意味する、とした訳です。卑弥呼という呼び名はどこから生まれたのか、また、魏志倭人伝に記載されている時代にはどのように発音されていたのか、実際には全く分かっておらず、いかなる説も断定する事も否定する事もできないでしょう。

 なお魏志倭人伝には、卑弥呼の家族構成で、弟の存在が描かれていますが、モモソヒメにも弟がいる、という共通点もあります。

 三つ目はモモソヒメは、信託を告げる巫女さんでした。

卑弥呼は鬼道を用いていたそうなのですが、この鬼道は神につながるシャーマンのような呪術ではないか?と考えられているらしく、ここもまた共通点が見いだせるようなのです。

天照大神説と同じく、確信は持てないけれど否定もできない。そんな説のような気がしないでしょうか?

  ただ残念な事に、この説には明らかな欠点があります。それはモモソヒメは女王ではない、という事です。魏志倭人伝には鬼道という言葉を用いて、卑弥呼は巫女だった事を匂わせていますが、あくまでも女王だと繰り返し書かれています。モモソヒメは、単なる巫女に過ぎず女王ではありませんので、この条件に全く合致しないのです。

 この卑弥呼=倭迹迹日百襲姫命という説。邪馬台国畿内説支持者の間では、アイドルのような存在です。最も有力視されている説なのですが、我田引水が過ぎますね。どうしても奈良県の箸墓古墳を卑弥呼の墓にしてしまいたいという、結論ありきの説と言えます。

 いかがですか? 倭迹迹日百襲姫命が卑弥呼である、という説はかなり説得力が無いように思えます。それは、卑弥呼をあくまでも「巫女」としての存在でしか捕えておらず、「女王」としての適合性が一切無いからです。卑弥呼は魏へ使者を送った際に、魏の皇帝から「倭王・卑弥呼」と明示した勅書を賜っていますので、単なる巫女ではないのは明らかです。

 そもそも、神話の人物を卑弥呼に比定するには無理があるように思えますが、謎多き女王・卑弥呼について、何とか解明したいものですね。