皆既日食 天岩戸の元ネタ

 古代人の生活において、太陽は絶対神でした。

日の出と共に働き始め、日の入と共に睡眠をとる。灯りの無かった古代人にとって、太陽こそが生活の基準でした。

 そのような時代において、太陽が侵食され、一面を暗黒化してしまう皆既日食は、恐怖以外の何ものでもなかったでしょう。

 日本での皆既日食を窺わせる神話は、天照大神の天岩戸神話です。また、邪馬台国・卑弥呼は皆既日食の年に殺害されたとする説もあります。

 今回はまず、日食についての基本的な内容を整理します。

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皆既日食と天岩戸

 古事記および日本書紀には天照大神が天石窟(あまのいはや)に身を隠す記事があります。いわゆる天岩戸神話です。

この記事が日食を記したものであるとの推測は,江戸時代の学者・荻生徂徠(1666-1728)によってなされたものが最初です。

 日食ではないとする論者もいますが、記述の中に,皆既日食ならではの特徴的な文言があることから、私は皆既日食体験が伝承として残ったものと考えます。

 特徴的な文言は2つあります。ひとつは,「長鳴鳥を聚め(あつめ)て、互いに長鳴せしむ」です。よく知られているように、皆既日食時にはあたりは暗くなり、鳥や獣が騒ぎだしますので、その様子を記述したものでしょう。もうひとつは,「細に磐戸を開けて窺す(ほそめにいわとをあけてみそなはす)」です。太陽としての天照大神がちらっと姿を見せる。これは,皆既日食が終わる瞬間に起こるダイヤモンドリング現象で、それを説話化したものだと考えます。

 まずは日食の基本的な事柄を整理します。

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日食の基礎

 日食は、次の三通りに大きく分けられます。

1.太陽の全体が隠される皆既日食。少しずれるとダイヤモンドリング

2.これとよく似ていますが、月の直径が小さい場合に起こる金環日食。ダイヤモンドリングは起こりません。

3.太陽が部分的に隠される部分日食

です。

 このうち皆既日食と金環日食との違いは分かりにくいと思います。

これは、月の公転軌道に依存しています。月は楕円形に回っていますので、地球から見た月の大きさが変化するのです。月が大きく見える時期に日食が起こると、皆既日食、月が小さく見える時期に日食が起こると金環日食となります。従って、金環日食では、月が太陽を完全に隠し切れず指輪の様な状態になって見えます。

 日食が起こった場合の周辺の暗さですが、皆既日食では「突然、夜のように暗くなる」となりますが、金環日食や部分日食では日食が起こっている事さえ気がつかない明るさが保たれます。従いまして、古代に大きな事件を引き起こした日食を考える上では、皆既日食のみに焦点を当てるのが自然でしょう。

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日食年表

 アメリカ合衆国のNASAは、古代に起こった日食のデータを公表しています。比較的正確なデータではありますが、地球自転が月日と共に遅くなっているなどの誤差要因Δtの取り方で結果が異なります。従いまして、絶対的に正確とは言えませんので、あらかじめご了承下さい。

 まず記紀が編纂された八世紀以前の日本列島で見られた皆既日食をリストアップします。時代を遡って、522年、328年、278年、248年、158年、56年、などがあります。このうち522年、278年、158年は、日本列島の広い地域で皆既日食が観測されています。

  ここでは紀元前の皆既日食は無視しました。記紀をそのまま信用すれば天照大神の天岩戸は神代の昔の紀元前となってしまいますが、現代から見れば「古墳時代」からの神話となりますので、現実的ではないからです。

 天岩戸神話が実際の皆既日食が元ネタだったとすれば、紀元前の神代の昔などではなく、この522年の皆既日食が最も有力だと推測します。

 現代で例えるならば、200年前の江戸時代に起こった皆既日食に相当しますので。

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522年の日食の経路

 参考までに、この522年の皆既日食が起こった地域を示します。日付は6月10日で、夏至に近い昼間の長い季節。作物が大い成長している季節です。

この図のように北関東、北陸、山陰に掛けての広い帯状の地域で観測されています。しかも五分間以上の長い時間に渡って、暗黒の世界が広がっていました。当時の日本人の多くが目にした皆既日食でしたので、天照大神の天岩戸のような神話が、日本全国各地で芽生えたと言えるでしょう。

 天岩戸と皆既日食の関係は明らかと言えますが、その時代を紀元前とするのは飛躍しすぎでしょう。西暦522年の広範囲の皆既日食が最も理にかなった元ネタと言えるのではないでしょうか。

 なお522年は、邪馬台国(越前)の大王・継体天皇が近畿地方を侵略していた時代です。この四年後には近畿地方を完全に征服しました。さらにその一年後には、北部九州で古代史最大の戦争といわれる「磐井の乱」が勃発しています。

 やはり皆既日食は、古代の政治体制に大きな変革をもたらしたようですね。

次回は、卑弥呼の時代と関係する247年と248年の皆既日食について考察します。