最強のトンデモ 四国説

 邪馬台国・四国説というのをご存じでしょうか? 1980年代に雨後の筍のように出てきたトンデモ説の一つです。あまりにも唯我独尊の主張だったので誰にも相手にされず、今では遠い記憶の彼方に消え去りました。

古代農業の観点からは、四国に超大国が存在していた可能性は無く、考古学や文献史学からも、四国に邪馬台国があったという根拠は希薄です。何らかの新しい発見がある事を期待して、この本を手にしました。

 読後の感想は一言、「疲れた~」。これでは四国の人達も納得しないでしょう。

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著者

 この本のタイトルは、「邪馬台国はまちがいなく四国にあった」です。1992年の発行です。

著者は、大杉博氏。

1929年 岡山県に生まれる

法政大学中退、宗教家

1976年から古代史の研究を始める

1981年 倭国(いのくに)研究所を設立

著書に、「日本の歴史は阿波より初まる」、「ついに解けた古代史の謎」、「ついに解けた邪馬台国」などがあります。

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目次

 内容は、四章に分けられています。

第一章 四国山上説の出現と学界の反応

第二章 中国史書に基づく邪馬台国の証明

第三章 記紀に基づく邪馬台国の証明

第四章 古代史の謎ついに解明

 

第一章では、邪馬台国四国説についての概要が述べられています。そして、自分の説が世の中に受け入れられない事の愚痴が綴られています。

第二章では、中国の古文書を曲解して、邪馬台国の場所が四国である事を説明しています。

第三章では、日本の古文書を曲解して、邪馬台国の場所が四国である事を説明しています。

第四章では、八世紀以降の事件や文献などから、四国がいかに適した場所かをこじつけています。

もっぱら古文書の解釈だけで話が進行し、科学的な根拠は微塵もありません。

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魏志倭人伝との一致

 まず、この本の残念な点から入ります。

はっきり言って、批評する気にもならないほど、酷い内容でした。参りました。お手上げです。

そもそもこの方、魏志倭人伝の基本的な所を理解していないようです。

魏志倭人伝は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称です。その時代に、日本列島にいた倭人の習俗や地理などについて書かれているものです。この基本的な事を理解していないですね。

 大杉氏の説では、魏志倭人伝に書かれている倭国の風俗・習慣や、採掘される鉱物、生産される産品などについて、全て四国と一致している事を滔々と述べています。それはそれでいいでしょう。

 しかしすべて一致すれば、そこが邪馬台国ですか? 違うでしょう。倭の一部であるという証明にはなっても、あるいは諸国連合の女王國であるという証明にはなっても、邪馬台国の証明にはなっていません。邪馬台国は、倭国の中の、女王国の中の、一つの国家に過ぎません。女王の都であり、七万戸の超大国であるという記述はありますが、諸国連合の一つなのです。魏志倭人伝はあくまでも倭人についての書物であり、邪馬台国を特定するものではありません。

そんな基本的な事すら、読み取れていなのです。

 なるほど、誰からも相手にされなかった理由が分かります。

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中国史書は引用

 また、中国史書に基づいて証明するとしていますが、何のことはない、三国志よりも後に書かれた中国歴史書の都合の良い部分だけ拾い出して、自説を正当化しているだけです。

 三国志よりも後に書かれた中国史書の倭国に関するは記述は、すべて三国志から引用され、脚色されたものです。そんなものを拾い出してきても、全く説得力がありません。特に酷かったのは、10世紀の太平御覧からの引用です。これは邪馬台国時代の700年も後に書かれた中国史書ですよぉぉ。

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古文書の曲解

 次に、日本の歴史書である古事記や日本書紀の曲解です。

高天原や天孫降臨の地が四国であったり、出雲神話が全て四国の話だったり、などなど、あまりにも酷い我田引水です。

特に面白かったのは、出雲神話の中の高志という北陸を意味する地名です。なんと「たかし」と訓読みさせて、徳島県にあった小さな村の「たかし村」に比定しているのです。

「高志」は、記紀だけでなく万葉集にも北陸地方を意味する地名として広く記されていますが、それを完全に無視しています。いやはや「たかし」とは(爆笑)。これには、四国の人たちも呆れた事でしょう。

 百歩譲って、それらの地が四国だったとしましょう。そうであれば、それに見合うだけの考古学的資料が発見されている筈です。ところが四国の弥生遺跡や出土品はショボいもので、九州や、山陰・北陸の弥生遺跡の足元にも及びません。

 文献の曲解だけならば、北海道こそが邪馬台国だったという解釈も、簡単に出来てしまいます。根拠となる考古学資料が無ければ、ただの空理空論なのです。

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ウリジナル

 とにかく、あれもこれもとテンコ盛り。全ては四国が起源であるという論調でした。

この本を読んでいて、なんだかよく似た事例があるのを思い出しました。「ウリジナル」です。この方の論調は「ウリジナル」ソックリです。

 ウリジナルとは、朝鮮語の私という意味の、ウリと、英語の起源という意味の、オリジナルを掛け合わせた造語です。朝鮮人が世界的に有名な人物や文物を、すべて朝鮮が起源であると曲解する、我田引水の様を揶揄した言葉です。

 大杉博氏の邪馬台国・四国説は、まさに日本版ウリジナルです。

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ユダヤ人

 次に、農業の視点です。

 古代に於いて、七万戸という邪馬台国のような超大国が出現するには、大規模な農業生産が必要です。弥生時代の四国で、しかも高地性集落で、どうやって食料を賄ったのでしょうか?

この本の説明からは、江戸時代までは四国山地で焼畑農業が行われていたとあります。つまり、弥生時代も焼畑農業による生産に依存していたという論調です。

 この方、農業を全く知らないですね。

 山の上にあった都市としては、南米・ペルーのマチュピチュ遺跡や、ヨーロッパ各地の断崖絶壁の城郭都市があります。これらは、非常に規模が小さく農耕地も僅かですので、人口扶養力がありません。ヨーロッパの場合には、食料供給源からのルートが確保されていたので、ある程度の人口は賄えて、商業都市として発展しました。

それと同じように、高地性集落を考えてはいけません。

 焼畑農業は、縄文時代から続く移動型農業で、手っ取り早く畑を作る事は出来ます。しかし、水田稲作に比べて生産効率が非常に悪い農業です。江戸時代まで焼畑農業が行われていたという事は、それだけ遅れていた地域であるとの証明にはなりますが、弥生時代の超大国があった事の証明にはなりません。

 百歩譲って、焼畑農業の邪馬台国があったとします。その場合、広大な天然の水田適地があり、大量の農業生産があり、人口密度が高く、強大な国力があった地域をどうやって抑え込んだのでしょうか?

 まさか、ユダヤ人が住み着いて、日本全国に布教活動を行った、などと牧歌的なファンタジーにしてしまうつもりでしょうか?

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良い点

 最後になりましたが、この本の良い点です。

邪馬台国・四国説のような誰も知らないマイナー説を人々に納得させるには、どうあるべきか。という勉強になりました。

大杉氏の場合、自説を主張するのはいいのですが、他説に対してはやたらと攻撃的で、読んでいて不愉快になる文章が多々見受けられました。まさに唯我独尊の論調でした。

 私も邪馬台国・越前説という誰も知らない説を唱えていますが、時々ほかの説に対して攻撃的になってしまいます。これでは誰も納得しないですね。

 あっ、この動画も攻撃的でしたね。すみません。

感情的にならずに、冷静に、論理的に説明して行かなければ、やがて四国説のように人々の記憶から消え去る日が来てしまうのでしょう。

 マイナーな説の立ち振る舞いについて、反面教師にさせて頂きました。

 邪馬台国・四国説には、航海の問題もあります。世界屈指の困難な海域である瀬戸内海をどうやって渡ったのでしょうか? 潮流を見ながら慎重に航海したのであれば、魏志倭人伝に途中の多くの停泊地の記載が無ければなりません。ところが、不彌國~投馬国、投馬国~邪馬台国へは、途中の国々の記載がないのです。この点だけでも、四国に邪馬台国が無かったという十分な証拠になります。

 この本は、あの手この手と痛々しく切々と、我田引水の曲解を繰り広げています。涙ぐましい必死さが伝わってきましたが、ただそれだけでした。「邪馬台国はまちがいなく四国に無かった」