皇国史観は日本の礎

 当シリーズでは、万世一系の光と陰を見つめて行きます。まずは、皇国史観です。

 皇国史観とは、日本の歴史が万世一系の天皇を中心として展開されてきたと考える歴史観のことです。

自由な議論が許されなかった時代には、問答無用で万世一系でしたが、現代では、考古学の成果により全て否定されています。かと言って、皇国史観を無視してよいものではありません。日本国という類まれな国家の礎になっているのは疑いようのない事実です。

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万世一系

 「万世一系」とは、初代・神武天皇から現在の皇室に至るまで、代々の天皇が男系男子の子孫であることを意味します。

 皇国史観は、これを根拠に日本の歴史が天皇を中心として展開されてきたとする考え方です。

そして、古事記や日本書紀の神話の部分をも歴史的事実とすることを一つの特徴としています。

 この考え方は、奈良時代のヤマト王権がほぼ確立した時代から始まり、近世までの1300年に渡って受け継がれてきました。

 日本という単一民族国家が、世界の中で最も平和で安定し、繁栄を極めているのは、天皇を中心とするこの思想があったからこそと言えます。

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皇国史観を教えよう

 皇国史観は日本という素晴らしい国家の礎を築いた思想ですので、現代の考古学の成果がどうあれ、過去の実績までも否定すべきではありません。

 ところが、現代の学校教育現場では、皇国史観を全く教えなくなってしまいました。日本という世界に類を見ない超優秀な国家の歴史を、たとえそれが嘘っぱちの物語だらけだとしても、1000年以上に渡って果たしてきた役割くらいは、教えるべきでしょう。そもそも神話とは、現実には起こりえないファンタジー・空想の世界です。

 ファンタジーはファンタジーとして、日本国成立に大きな役割を担ってきた事と、日本人としてのプライドを、子供たちに教える事は、非常に重要だと考えます。それを教える事は、子供達に「嘘」を教える事にはなりません。

 世界を見渡せば、例えば新約聖書や旧約聖書は、自然科学に反する「嘘っぱち」だらけです。それを現代になってさえも、世界中の多くの人たちが心の拠り所にしています。それはそれで大きな役割を果たしていると言えます。

 もちろんだからと言って、欧米人の風俗・習慣を見習う必要は、ないのですが。

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皇国史観は戦犯

 皇国史観が教育現場から排除された最大の理由は、第二次世界大戦での敗戦です。

日中戦争から太平洋戦争期の軍国主義教育では、皇国史観がその柱になっていました。天皇中心の超国家主義的な自国中心の歴史観を悪用されたのです。

 その起源は、江戸時代末期の尊王攘夷思想、明治時代の国粋主義などにさかのぼりますが、とくに昭和時代の前期に、「万世一系」を基軸とした日本歴史の優越性を強調し、「大東亜共栄圏」思想に歴史的裏づけを与えようとしました。

 その意味で皇国史観は科学性に欠け、自国中心の歴史観で、天皇制と帝国主義を支える一種のイデオロギーだったと言えます。

 「敗戦」という自国の歴史をすべて否定しなければならなくなった状況では、皇国史観が「戦犯」扱いされて教育現場から葬り去られたのも、やむを得なかったのでしょう。

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江戸時代の皇国史観

 第二次世界大戦の敗戦によって葬り去られた皇国史観ですが、それ以前の状況はどうだったのでしょうか。

 まず、江戸時代までは、ほぼ「議論の余地なし」でした。皇国史観や万世一系という言葉さえ存在しませんでした。天皇陛下は神様のご子孫であらせられますので、何の疑問も持たなかったと思われます。たとえ疑問を持った学者がいて、天皇制度を批判でもしようものなら、即刻死刑、あるは歴史の闇に葬り去られた事でしょう。

 新井白石をはじめ、本居宣長、荻生徂徠などといった現代の日本史教科書に名前が載るような人物は、例外なく御用学者です。天皇家の顔色を伺いながら、巧みに自説を構築した連中です。彼らの説には、皇国史観を否定する思想は、微塵もありません。

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明治、大正の皇国史観

  感覚的には、第二次世界大戦での敗戦までは、万世一系を否定してはいけなかったと思われがちです。

しかし、明治時代には、記紀の神話に対する批判は、比較的自由に議論が行われていました。また考古学もそれなりに発展していたので、明治時代の教科書には、神代の時代などではなく、原始社会の様子も記述されていました。

もちろん現代ほどの自由はなく、神道を批判する論文が発表されると、激しい批判を受けて、事実上の排除の空気は醸成されていました。

 また、大正時代には、いわゆる大正デモクラシーの高まりを受け、歴史学にも言論が活溌になりました。

中でも左翼系の思想家は、マルクス主義的な唯物史観に基づく歴史書を出版したりもしました。

ここでもまた、社会主義に対する危機感から、言論統制が強化されることになりました。

 そして昭和に入ると、一般の歴史書でも、皇国史観に正面から反対する学説を発表する事は不可能になってしまいました。第二次世界大戦が勃発すると、「日本は強い国、世界に一つの神の国」と記載した国定教科書が小学校に配布されるようになったのです。

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皇国史観が制限された

 このように、第二次世界大戦まで、帝国主義を支えるイデオロギーに悪用されたがために、現在では排除される傾向にあります。もちろんその陰には、戦勝国の陰謀もありました。

 私は、皇国史観が古代日本の国造りに果たしてきた役割を考えれば、学校教育に復活させるべきだと思います。実際に、そういう活動を行っている人たちも存在します。

 ただ残念なのは、そういう活動を行っている人たちは、古事記や日本書紀に書かれている神話をも、歴史的事実として捉えている事です。考古学の成果により全て否定されているにも関わらず、いまだに神武天皇以来の万世一系に固執しているのです。神話は神話でしかありません。自然科学に反するそのような思想では、未来永劫、皇国史観が教科書に復活する日は来ないでしょう。

 現代の自然科学が進歩した社会においても、万世一系のを歴史的事実として主張する学者が少なからず残っています。現代の「御用学者」とも言える人々です。これは、キリスト教がかつて「地動説」を頑なに否定していた姿に重なります。

 皇国史観という情緒的な思想も大事ですが、神話は神話、科学的真実は真実、としてフラットな視点で歴史を見つめて頂きたいものです。

 次回は、万世一系の根幹をなす天皇の系譜についてです。