倭国は南の島 陳寿の妄想

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魏志倭人伝を読み進めて行くと、弥生時代末期の日本列島の風俗習慣が、手に取るように分かります。

倭国・日本にはその当時、牛も馬もいなかったので、天然の水田適地でしか稲作が行われていませんでした。そんな場所に邪馬台国が誕生したのでしょう。

 今回は、「倭国に有るもの・無いもの」は、中国の南の島と同じである、という記述です。

 魏志倭人伝の内容は、大きく三つに分けられます。「女王國の構成」、「倭国の風俗習慣」、および「女王國の政治や外交」です。

 女王國の構成については次のような記述がありました。

朝鮮半島の帯方郡から九州島に上陸。日本海を東に進んで邪馬台国に至ります。ここが女王の都です。

 女王國は30もの国々から構成される連合国家です。この境界線は、博多湾沿岸地域の奴国と記されています。帯方郡からの距離は12000里となっており、奴国までの距離と一致しています。

 一方、女王國の敵国として狗奴国の存在も記されていました。これは、現在の近畿地方を指しています。

 風俗習慣については、倭人たちが全身に文身を施して海産物を狩猟している様子や、髪型・服装の描写などに関する記述がありました。

 なお、九州島の上陸地点から邪馬台国までの行路では、方角がすべて90度のズレがありましたが、これは魏の使者たちが、日本列島は90度ズレた形だと認識させられたようです。それを裏付けるように、風俗習慣の内容でも南の島であるという内容になっています。

 今回、さらにその先を読み進めると、明確に南の島であるとの描写になっています。

兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 

「兵は矛、盾、木弓を用いる。木弓は下を短く、上を長くす。竹箭(ちくせん)、或いは鉄鏃、或いは骨鏃。」

 となっています。

まず、戦いの際に兵士が用いる武器です。矛や楯、木で出来た弓をを用いるとなっています。弓の形は、下が短く上が長いとありますので、このような形でしょう。

 矢は、竹で作られており、矢じりには鉄を用いたもの、骨を用いたものがありました。弥生時代の武器としては、一般的と思われますが、鉄鏃、すなわち鉄で作られた矢じりは、北部九州固有のものと考えられます。それは現時点での鉄鏃の出土地は、ほとんどが北部九州だからです。

 鉄鏃に限らず、以前の動画で「絹」の出土地の紹介もしましたが、やはり北部九州だけでしか発見されていません。

これらの事から、魏からやって来た使者たちは、伊都國(現在の福岡県糸島市)に逗留して、倭国の様子を書き記したものだという事が分かります。

 なお、魏志倭人伝の内容は邪馬台国を特定したものではないので、鉄鏃や絹が出土したからと言って、そこが邪馬台国だとう証拠にはなりません。

 次に、

所有無與儋耳朱崖同

「有無する所は。儋耳(たんじ)、朱崖(しゅがい)と同じ。」 

となっています。

 儋耳(たんじ)・朱崖(しゅがい)とは、中国南部の海南島の事ですので、倭国に有るもの・無いものは、南の島と同じだという意味です。

 さらに、

倭地温暖 冬夏食生菜 皆徒跣

「倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。皆、徒跣。」

となっています。

 この辺になると、倭国は完全に南の島だという事を前提に書かれていますね?

海南島と同じような温暖な場所であって、冬でも夏でも生野菜を食べている、みんな裸足で歩いている、というのは、さすがに九州でもあり得ないでしょう。沖縄や台湾まで行かないと、このような風俗習慣とは一致しません。

 魏の使者たちは、北部に位置する朝鮮半島の帯方郡からやって来たので、そこから見れば九州は南の島です。かなり温暖に感じた事は間違いないでしょうが、誇張しすぎているように感じます。やはり、日本列島が90度ズレた形で誤認されていたのでしょう。

 ではこの風俗習慣は、魏の使者たちが伊都國で見聞したものだったのでしょうか? あるいは魏志倭人伝の著者である陳寿が、倭国に関する資料を調べた結果、南の島というイメージを膨らませて書いたものなのでしょうか?

 私は後者、すなわち陳寿の妄想だと思います。魏の使者たちは、植民地だった朝鮮半島の人間です。文化的には後進地域ですので、広い知識を持った人々はいませんでした。そんなレベルの低い人間が、海南島の風俗習慣まで知っていたのか?という疑問があります。

 それに対して陳寿は、三国志全般を著わした人物です。中国全土に豊富な知識を持っていた人物です。もちろん南部の海南島の知識もあった事でしょう。

そんな陳寿が、倭国に関する断片的な史料を読み解いて、妄想を膨らませて、倭国の風俗習慣は海南島と同じだというイメージが出来上がったのではないでしょうか?

 邪馬台国沖縄説というのがあります。

魏志倭人伝の風俗習慣だけを見れば、沖縄が最も一致しているからです。

これをもって、邪馬台国は沖縄である、というわけです。ただし、九州説論者が「絹」や「鉄鏃」の出土を根拠としているのと同様に、沖縄は倭国である、という結論は導けますが、沖縄が邪馬台国である、とは導けません。

残念ながら、邪馬台国は沖縄である可能性は低いと思います。詳細は、また機会があればご説明しますが、要点だけを述べておきます。

 邪馬台国への行路の記述に一致しない。(行路の無理)。

 邪馬台国の国の規模に一致しない。(規模の無理)。

 女王の都として九州を支配できない。(都の無理)。

 黒潮に逆らって航海できない。(航海の無理)。

などがあります。

 魏志倭人伝の風俗習慣の内容が、南の島・海南島と同じだと記されたのは、やはり著者・陳寿の妄想によって書かれたものだから、だと思います。

 いかがでしたか?

そもそも魏志倭人伝は、倭国へ行った魏の使者の資料を参考にしています。九州島に上陸した後は、90度ズレた方角に気が付かないまま、日本列島が描かれています。その資料を見た著者・陳寿が、中国・海南島をイメージしながら妄想を膨らませたのでしょう。「温暖で生野菜を食べ、裸足で歩いている」。とは、北部九州の気候からはかなりの無理があります。これは、魏の使者を騙した女王・卑弥呼の作戦が、大成功したという事です。